からし種とパン種のたとえ

からし種とパン種のたとえ エゼ172224、マタイ133135 2024.10.13

 

(順序)

招詞:詩編14110、讃詠:546、交読文:詩4227、讃美歌:454、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:132、説教、祈り、讃美歌:228、信仰告白:使徒信条、(献金)、主の祈り、頌栄:540、祝福と派遣

 

 イエス・キリストはマタイによる福音書の13章で、天の国について合計7つのたとえ話をなさいました。種を蒔く人のたとえ、毒麦のたとえに続いて学ぶのが、からし種のたとえとパン種のたとえということになります。13章ではさらに畑に隠された宝、高価な真珠、魚とりの話へと続きますが、マタイ福音書では天の国について語っているところがほかにもあります。イエス様が語って下さった天の国について、何としても書きとめて残さなければという強い思いが伝わってきます。

前回、毒麦のたとえの時にお話ししたように、天の国というのを死後の世界に限定してしまうことは出来ません。主イエスは「天の国は次のようにたとえられる」とした上で、イエス様が良い種を蒔いた畑は世界であると言われたのです。この世界は天と直結しています。だから天からこの世界に良い種が蒔かれます。良い種は御国の子ら、それは教会を通して広がってゆくのです。しかし、悪魔が来て毒麦の種を蒔いてしまったので、その結果、世界は麦と毒麦が混じり合う、混沌とした場所になってしまいました。

 

 今日のお話は、「イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた」というところから始まります。34節に、「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ」と書いてありますから、イエス様は群衆に語られたことになります。イエス様は弟子たちを含む群衆にたとえ話をされました。たとえを用いないでは何も語られませんでした。

 まず、その一つがからし種のたとえです。「天の国はからし種に似ている、人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜より大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」。

 イエス様がこのたとえ話について説明された記録はありません。だから、ここから直接、解釈しなくてはならないのですが、それは最初予想していたことよりはるかに難しかったです。私たちも、自分より若い世代の人たちと話して、今の人たちはこんなふうに考えるのかと驚いたことがあるはずです。生まれた年が10年遅い人たちとの間にもジェネレーションギャップがあるのです。まして2000年も昔の人たちがどのように考え、感じていたのか、それは想像を超えるものがあります。

 からし種とは何でしょう。農家の人ならご存じかと思いますが、多くの人にとって、聖書以外ではほとんど聞いたことのない言葉だと思います。…私は以前、ある人から「これがからし種だよ」と言われてもらったことがあるのですが、小さくてまるで粉みたいでした。…からしもいくつか種類があって、イエス様の時代に生えていたのはどれなのかという議論があるようですが、省略します。初めは粉みたいに小さなからし種が成長すると2メートルから3メートルの大きさになることから、天の国のたとえとして用いられているのです。

 このたとえ話はこれまで、次のように説明されてきました。

 

これはイエス・キリストのお働きを示しています。イエス様が福音の種を蒔かれた、それは、むかし世界のかたすみで起こった出来事だったのですが、しかしそれは各地に広がり、大きくなっていきました。イエス様と弟子たちは初めは小さな群れにすぎませんでした。しかし十字架と復活を経て聖霊が降り、教会が誕生し、今やそれは世界に広がっているのです。

空の鳥が来て枝に巣を作るほどになるとは何でしょう。空の鳥というのはこの時代では異邦人、だから世界中の人々のことです。そこには全世界に及ぶ救いの完成が示されています。エゼキエル書1722節から24節に書いてあることもこれを証ししています。そこを読んでみます。

 「『主なる神はこう言われる。わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。』主であるわたしがこれを語り、実行する。」

 これらはみ言葉の驚くべき力を現わしてあまりあります。教会を通して天の国は世界中に広がっていくのです。私たちがイエス様を救い主として心に受け入れた時、もうすでに偉大な天の国の支配の中に入れられているのです。

 

 これは感謝して受け取るべき教えなのですが、しかしながら調べてみると、私が教会でこれまで教えられていたこととはまるで違ったことを言っている人がいたので驚きました。…たとえば内村鑑三はこう書いています。「じつに小なる福音の苗は、世界精神の注入により、たちまち成長して大いなる木となり、すなわち大いなる教会となり、しかして空の鳥、すなわち空中をつかさどるもの、すなわち悪魔かれ自身がきたりて、その枝、すなわち教会のかげに宿るなりということである。」

 悪魔がきたりて教会のかげに宿る、これは耳を疑うような話です。…たとえ話に出て来る空の鳥とは何でしょう。私は先ほど、それが世界の人々を表わしているのだと言いましたが、イエス様は空の鳥について何の説明もしておられません。皆さんは空の鳥と聞いてどんな鳥を連想されたでしょうか。ハトや鶴のような愛らしい鳥なら良いのですが、一方でこわい鳥もあるわけです。一粒のからし種が成長して大きな木となり、大きな教会が出来たとしても、そこにはげたかが巣を作ったとしたら、たいへん恐ろしいことになるわけです。内村鑑三はそのことを見ているのです。

 内村鑑三はなぜこんな解釈をしたのでしょうか、それは、このたとえ話の前にある毒麦のたとえとも関係がありそうです。イエス様は世界という畑に良い種を蒔いたのですが、そこに毒麦も生えてしまいました。良い麦だけが成長して素晴らしい収穫を得るとは限りません。教会が大きくなって、世界中に広がっていったとしても、そこに毒麦が混じっているかもしれないのです。

 内村鑑三は日本が誇る偉大な伝道者ですが、若い頃アメリカに渡って、キリスト教国と言われる米国でも教会が堕落していることを知り、その後、既存の教会を否定して無教会主義を唱えるにいたりました。この人ならではの観点だと思うのですが。…私たちは教会を信じるべきです。使徒信条でも「聖なる公同の教会を信じます」と告白しています。教会はからし種が成長するように大きくなりました。しかし、教会といっても統一教会だってあるのです。すべての教会を信じることは出来ません。

 

 では、もう一つ、パン種のたとえを見ていきましょう。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

 パン種とはイースト菌のこと、これも小さなものですがパンを大きく膨らませます。一サトンは12.8リットル、だから三サトンは38.4リットルということになります。38.4リットルのパン粉にイースト菌をまぜると大きくふくれ、約100人分のパンが出来あがるということです。このように、小さなイースト菌のおかげで大量のパンが出来ることから、このたとえ話も従来、からし種のたとえと同様、み言葉の偉大な働きによって、イエスを主と信じる者たちに力が与えられ、教会が大きく広がり、強くなっていくことだと教えられてきました。

 しかし、内村鑑三はこれに対しても違う解釈を書いていました。「福音宣教は失敗多くして成功少なく、まことの信仰はにせの信仰が混じるところとなり、教会はついに悪魔の巣窟と化する」(井上豊現代語訳)。もう、何をかいわんやというところなのですが、その理由というのがあるのです。

 私たちはパン種すなわちイースト菌について、パンを大きくしてくれるありがたい存在だと思っているのですが、昔の人は違っていたようで聖書はこれを悪い意味に用いています。たとえばマタイ福音書16章6節、「イエスは彼らに、『ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい』と言われた。」…これは彼らの誤った教えに注意しなさいということです。聖書はパン種についてこういう書き方をしています。パン種は邪悪なものの象徴なのです。…過越の祭りでもわざわざパン種を入れていないパンを食べます。…なんでパン種が悪者にされているのかわからないのですが、こういうところからパン種のたとえは邪悪なものが広がっていくことを警戒する教えだとする人が、内村鑑三の他にもいました。私は考えれば考えるほど混乱してしまい、聖書研究って難しいものだなと痛感したのですが、しかしカルヴァンはここの解釈で、天の国をそのような悪い意味にとることはないという意味のことを書いていました。考えすぎるなということでしょう。…たしかに教会に間違った教えが入って、それが大きくなって大混乱が生ずることがあるのですが、しかしそれにもかかわらず、まことの教会があり、それが大きくなっていくということは見失ってならないことだと考えます。

 

天の国とは神様のご支配と言い表すことが出来ます。それは教会を通して、地上で広がっていくのです。もちろん、いま世界と日本にあるすべての教会がみんなみこころにかなった正しい、まことの教会だと言うことは出来ません。残念ながら、悪魔に率いられて間違った教えを語っている教会、つまり毒麦の教会もあるでしょう。しかし、そのような教会がすべての教会を呑み尽くしているわけではありません。

天の国すなわち神様のご支配は、最初はからし種のように小さいのです。主イエスはそのような小さな種から天の国が始まるのだの言われたのです。もっとも小さいだけではありません。主イエスは、天の国はパン種に似ているとも言われました。パン種はパンの粉に混ぜてしまうと見えなくなってしまいます。どこにあるのかわからなくなる、隠されてしまうのです。しかし、その隠されたものが全体を膨らませていくのです。

天の国は今も小さく、隠されているように思います。…アメリカなどにメガチャーチという、私たちの常識からすると信じられないくらい大きな教会があります。その教会がまことの教会なら良いのですが、その反対である可能性もあります。教会の大きい小さいでその価値を決めることは出来ません。内村鑑三が警告したような毒麦の教会、悪魔の教会もあるのでしょうが、すべての教会がそうなのではありません。主イエスは、今はまだ隠されて見えない神様のご支配が、悪魔の支配とたたかいつつ着実に力を発揮して、この世界を、私たちを変えていく力を持っているのだと語っているように思いますし、また、そうでなくてはなりません。

その隠されていることを主イエスはたとえを用いて群衆に語られました。たとえを用いないでは何も語られませんでした。35節はその理由を書いています。「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。』」(詩篇78:2の引用)

主イエスは「天地創造の時から隠されていたこと」、天の国、神様のご支配をたとえを通して示されます。それは隠されていて、たとえでなければ語れない内容の事柄だったのです。

皆さんの多くは、からし種とパン種のたとえを昔から聞いていたのではないかと思います。天の国が大きく広がっていくと教えられ、しかし現実にはまだそれほどにはなっていないなあと思っていたかもしれません。現実のの社会の中で教会は残念ながらまだまだ小さく、社会の中で教会が発するメッセージは十分浸透したとは言えませんし、教会と名乗ってはいてもおかしな教会もあります、いま世界では悲惨な戦争が行われていますし、解決しなければならない問題もたいへんに多く、罪にまみれたこの世界に、本当に天の国や神の支配があるのかと思ってしまうこともあります。

しかしながら、小さなからし種が大きく成長していくことは確かです。それが大きく育った時に、かりにはげたかが巣を作ったとしたら、これを切り倒して、また新しく一から出発すれば良いのです。パン種についても、これをすべて邪悪なものと決めつける必要はないでしょう。隠されていたものがパンを大きくふくらませる、教会が育っていく、そこに間違った教えが入りこむ可能性を否定することは出来ませんが、ルターがしたように教会はそのたびに改革されていくのです。

 悪魔の力が猛威をふるい、まことに残念ながら教会が間違いを犯すこともあるかもしれません。しかし、そうした中でも、私たちはつねに教会を、イエス・キリストに立ち返ることで守り続け、正しい信仰を追い求め、それを私たち自身の生き方としていかなければなりません。

 

(祈り)

天にいます父なる御神様。むかし主イエスが蒔いて下さった小さな命の種は、芽生え育ち、さまざまな時代の波をかいくぐって、やがて地の果てまでその枝を貼る樹となりました。その中に、もしかしたら悪魔が宿っている樹があるかもしれませんが、大多数のものは神様に向かって伸びて、神様のご支配を世に知らしめる樹であると信じております。

神様、ご存じのように、いま日本中の教会が伝道のために苦闘しており、その中に広島長束教会もあります。日本の教会が韓国の教会のように人があふれるということはなかなか考えられません。しかしこの日本で、少数とはいえキリスト者がまことの信仰を守り続け、また社会の中でキリストのメッセージを掲げ、大切で有益な働きをしていることを思い、神様を賛美いたします。神様、どうか教会を強めて下さい。信仰の薄い私たちですが、イエス様の言葉によってその骨格をつくりあげ、死を超える力から来る恵みをたまい、微力ながら天の国の担い手の一人として下さいますようお願いいたします。

 

主の御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。