最後の晩餐

最後の晩餐   エレミヤ313134、マルコ142226  2024.3.24

 

(順序)

前奏、招詞:詩編1388ab、讃詠:546、交読文:十戒、讃美歌:10、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:138、説教、祈り、讃美歌:320、信仰告白(使徒信条)、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:543、祝福と派遣、後奏

 

 イエス・キリストはその御生涯の間、実に多くの人たちと共同の食事をなさいましたが、いちばん最後の夜に弟子たちと共に過越の食事をなさいました。過越とはむかしエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を神が救い出した出来事で、ユダヤ人はこのことを過越の食事として、いつの時代にも記念し続けてきたのです。過越の食事の内容はだいたい次のようなものだと考えられまています。

 初めに第一の杯が祝福の言葉を伴って回されます。次に、苦菜が配られます。三番目にイースト菌の入っていないパンとれんが色のスープ、焼いた過越の小羊と他のいけにえの肉が出されます。四番目に、家の長が祝福して苦菜をスープに浸して食べ、出席者一同も食べます。五番目に、第二の杯が注がれ、子供や最年少の人がこの儀式の由来を質問し、家の長が過越祭の意義を教えます。六番目で詩編113篇と114篇の詠唱、すなわち節をつけて歌われ、賛美と祈りののち杯が飲みほされます。七番目で家の長が手を洗い、パンをとって裂き、祝福して食べます。八番目に一同も食事を始めます。九番目で家の長が最後の小羊の肉を食べ終えると、第三の杯が回されます。そうして最後に詩編115篇から118篇が詠唱され、第四の杯が回されてから、結びとして詩編120篇から137篇が詠唱されるのです。

 初めから終りまでかなりの時間がかかります。主イエスは弟子たちと一緒にこのような食事の席を持たれ、その途中、順序から言えば八番目、皆が食事をしている最中にパンを取って裂き、弟子たちに渡し、続けて杯を取ってこれも同じく弟子たちに渡して、ふるまわれたのだと思われます。

 皆さんご存知のように、ここから聖餐式というものが始まりました。(教会に来てまもない方は、聖餐式の様子を見ると、これはいったい何だろうと思われるかもしれませんが、聖餐式は礼拝の中では説教と同じほど大切なことなのです)。この教会の聖餐式でいつも朗読される第一コリント書11章では、主イエスはパンと杯を配るときに、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われたと書いてあります。「わたしの記念としてこのように行いなさい」というのは、今読んだマルコ福音書には入っていませんが、ルカ福音書の並行箇所には出ています。主イエスが過越の食事の中から特にパンと杯を取り上げてこれだけは守るようにと命じられた結果、それまでの過越の食事は聖餐へと変わり、またユダヤ人だけではなく世界中の人に開かれたものとなりましたが、そこで特に覚えておきたいのは、そこに主イエスがおられるようになったということです。イエス様がおられないところに、いまやどのような聖餐式もありません。それでは、主イエスによって聖餐式が制定されたことで、何がどう変わったのかをしっかり見ていくことにいたしましょう。

 

 主イエスと弟子たちとの間で行われた食事は、皆さんも良くご存じの、最後の晩餐というレオナルド・ダ・ビンチの有名な絵になっています。ただあの作品は、主イエスが「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言われたときの弟子たちの驚きのありさまを描いたもので、この食事の席のもう一つの中心が聖餐の制定です。

これはパンと杯だけがあれば良いのではありません。これを下さる主イエスがおられなければなりません。主イエスが食卓の 主人であって、食事のすべてをつかさどっておられます。このことは教会で行われる聖餐式に受け継がれています。

 主イエスの前にいた弟子たちは何人だったでしょうか。そこに裏切り者のイスカリオテのユダがいたのか、いなかったのかという問題があります。これについて、「裏切り者のユダが聖餐にあずかるはずがない。ユダは聖餐の前に退出したのだ」という人がいます。かつてミルトス社というところが作った映像では、ユダが退出したあとに聖餐の制定がされていました。しかしルカ福音書の並行箇所では聖餐の制定があった後、弟子たちが自分たちの中で誰がいちばん偉いかと議論していて、聖書を素直に読めばユダも聖餐にあずかったことになりますが、そうなるとユダにとっての聖餐とはいったい何だったのかということになりそうです。…マルコ福音書からは判断できませんが、関心のある方はあとで四つの福音書を読み比べて、ご自分で判断してみて下さい。…ひとつ言えることは、その場にユダがいととしてもいなかったとしても、残りの11人はこのあとイエス様が逮捕される時に逃げ出してしまったのですから、みんながイエス様を裏切ってしまったということです。ですから、そこにいるのは模範的な信仰者の集まりではありません。同じことはどの時代、どの教会の聖餐式の集まりにも言えるのです。

 

 伝統的な過越の食事の中では家の長が過越の由来について説明するのですが、この日、主イエスはパンを取っていきなり「これはわたしの体である」と言われました。ぶどう酒を取ってわたしの血と言われました。この時、弟子たちはたいへんに驚いたと思います。その気持ちをちょっと想像してみて下さい。目の前にイエス様がおられるのに、パンがその体、ぶどう酒がその血だと言われたのですから。……これは文字通り、パンとぶどう酒がイエス様の体と血になったということなのでしょうか。それとも、それらがイエス様の体と血を表すということなのでしょうか。

 キリスト教会の歴史の中で、聖餐はたいへんな論争の種になってきました。カトリック教会はイエス様の言葉をそのまま受け取ります、聖餐のパンとぶどう酒が文字通りキリストの体と血に変化すると考えるのです。聖餐のパンは聖体と呼ばれます、昔のヨーロッパでは聖体行列というのがありました。パンをかかげて町なかを練り歩くのです。…こうしたことに対し真っ向から反対したのが宗教改革者ツヴィングリです。この人はパンとぶどう酒にはいかなる意味でもキリストの体と血は実在せず、ただそれを象徴する記号にすぎないと主張しました。「わたしはまことのぶどうの木」という言葉がありますが、だからと言ってイエス様がぶどうの木になってしまったのではありません。それと同じことだというのです。

この両極端の間でルターもカルヴァンも独自の主張をしています。この問題はたいへんこみいっていて、短い時間ではとても語り尽くせませんが、日本キリスト教会はだいたいこのような線で考えています。すなわち、パンとぶどう酒が元の物質と全く違った物質に変化するとは考えません。パンとぶどう酒はどこまで行ってもパンとぶどう酒です。しかし、信仰においてそれはキリストの体と血になるのです。なお杯に入っているのはぶどう酒でもぶどうジュースでもかまいません。

 主イエスがなさったことから考えてみましょう。主イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて、「これはわたしの体である」と言われました。つまり主イエスが「わたしの体である」と言われたのは、初めイエス様の手もとにあったパンの大きな塊ではありません。また、一人ひとりに差し出された一切れ一切れだけだと考えることも出来ません。それは、もともと一つであり、裂かれてしまったパンです。…私たちは、一つの塊だったパンが裂かれて一人ひとりに差し出される全部のプロセスについて、見ていかなければなりません。…私が尾道西教会で聖餐式の奉仕をした時は、パンを手で裂いて、教会員に渡しました。衛生上の理由などもあって、長束教会ではすでに切ってあるパンを渡していますが、もともと一つであったものが裂かれたということを見ないで聖餐式に臨むことは出来ません。

 パンが裂かれるというのはイエス・キリストの十字架の死を表わしています。主イエスはこのようにして御自身を私たちに示し、私たちに与えたまいます。 ですから私たちは聖餐式のパンを、十字架を表わすものとして信仰をもって受け取らなければなりません。パンが裂かれ、一人ひとりに与えられることで、主イエスが私たちの身代わりとなって殺されたこと、その死によって私たちの罪がつぐなわれたことが、目に見える形で告知されます。主イエスはその次の日にこの世を去られますが、その後、世の終わりに至るまで、パン裂きが行われる交わりの中に、すなわち主の十字架を記念する聖餐式の中においでになるのです。

 

 それでは次にぶどう酒に関する教えを見てみましょう。主イエスは杯を取り、感謝の祈りを唱え、弟子たちに渡して言われました。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。

 パンについて「これはわたしの体である」と言われたとき、「からだ」とはもちろん、骨も肉も血も含めた全身でした。それなのに、ここであえて「血」が出て来たのには大きな理由があります。それは、主イエスの死によって契約が結ばれたことを示すためなのです。そのことは「これは、……契約の血である」という言葉ではっきり示されています。

 出エジプト記24章8節によりますと、神が十戒を初めとする律法の書を与え、イスラエルの民が「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と誓ったとき、モーセは雄牛の血をしぼり、半分を祭壇に注ぎかけ、他の半分を民に注ぎかけて、「これは契約の血である」と宣言しています。

 このとき神とイスラエルの民の間で契約が結ばれたのなら、もうそれを繰り返す必要はないのではないか、と言う人がいるかもしれません。けれども、この古い契約が新しい契約にとってかわる日が来ることが予告されていました。その一つ、エレミヤ書3131節以下は申します。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。……(33節)、来たるべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、……。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」。

 かつて石の上に刻まれた律法は廃棄されません。しかし、それにまさる、心にしるす新しい契約がもたらされます。すべては一新されなければなりません。その新しい契約は誰によって立てられるのか、それは苦難のしもべ(イザヤ53章)であるイエス・キリストにほかなりません。

レビ記1711節は「命は血の中にある」と、ヘブライ書9章22節は「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」と教えています。そこに言い表されたことと、イエス様の言葉「多くの人のために流されるわたしの血、契約の血」とは全く合致しています。神が一人ひとりの人間の罪をはかってそれに相当する罰を下すということになれば、それに耐えられる人などどこにも、誰もいません。どんな人も他の人の罰の身代わりにはなれず、ただ神の子で罪のないお方であるイエス様しか、その任に当たることは出来ません。……「多くの人のために流されるわたしの血」と言われたことの中に、自分のために流された血があるということを、私たちは痛切な思いで受け取らなければなりません。

 

パンとぶどう酒にあずかることによって私たちは、「主の死を告げ知らせる」(Ⅰコリント1126)のです。聖餐式のたびごと、パンと杯を見るときに、私たちは主イエスが十字架上で死なれたことを見ます。聖餐、この十字架のしるしは、主が私たちにかわって死なれたことが、必ず記憶されるべきであることを示しています、それゆえどんな人も、聖餐式のとき、主の十字架をわきに押しやって、飲み食いを楽しむようであってはなりません。

しかし、パンと杯が主イエスの死を表わしていることは、この食卓をただ暗い悲壮なものにしてしまうということではありません。十字架はそれを信じる者にとっては、主イエスの罪と死に対する勝利を意味しております。ですから25節で「神の国で新たに飲むその日」のことが言及されているのです。

イザヤ書25章6節以下にこう書いてあります。「万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒……主はこの山で、…死を永久に滅ぼしてくださる。」イエスはそのような祝宴が行われることも予告しておられるのです。

ですから私たちは聖餐式のたびごとに、十字架の主イエスをしのぶと共に、いつの日にか必ず、再び現れたもう主イエスのことも待ち望みつつこれに参加するのです。昔の過越の食事は聖餐式に変わりました。これは終わりの日に、主イエスが主宰される盛大な祝宴となるでしょう。この喜びの宴に参加することが出来る、生涯信仰を貫いて生きた多くの人たちの中にここにいる私たちも入っていますようにと願います。

 

(祈り)

 礼拝の席に私たちを招き、いのちのみことばによって私たちを救いにあずからせて下さる神様を賛美いたします。私たちは神様から日々、素晴らしい恵みをいただいていますが、その中でも、み子イエス様が最後の晩餐の席で制定して下さった聖餐の中に神様の愛が輝いています。長束教会は来週のイースター礼拝の中で聖餐式が行われます。どうかその時、イエス様によって表わされた神様のなさりようがたたえられますように。どうかその食卓によって、究極の愛を生きられたイエス様と私たちの思いを一つに結びつけて下さい。

 

 私たちは主イエスが十字架上で死なれたことと共に、主が死に打ち勝たれたことを教えられています。いつの日か、世界の主であるイエス様が祝宴を開かれる時、どうかそこに私たちも招かれるのにふさわしい者として立っていることが出来ますよう、心からお願いいたします。私たちが死に至るまで神様に忠実で、悪魔の誘惑から守られますように。隣人への愛に生き、隣人をも私たちと同じ救いへと招くことが出来ますように。イエス様からいただく望みを最も必要としている人々にこそみことばを語り聞かせて下さい。主のみ名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。