イエスの弟子たち

イエスの弟子たち イザヤ52710、マタイ9:3510:4 2024.1.14

 

順序)

招詞:詩編13624、讃詠:546、交読文:十戒、讃美歌:24、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:312、説教、祈り、讃美歌:234a、使徒信条、(献金)、主の祈り、頌栄:541、祝福と派遣

 

イエス・キリストのご生涯と、キリスト教2000年に及ぶ歴史について考える時に、12人の弟子たちを見落とすわけにはいきません。この中の11人の弟子たちこそ、聖霊の導きのもと、歴史上初めて教会を立ちあげた人たちです。私たちも当然、弟子たちから多くの恵みをいただいているのです。

主イエスの弟子たちと言うと、それだけで偉い人だと思いこんで崇拝する人も多いのですが、聖書を読めばわかる通り、彼らは間違いもすれば、へまもする、ごく普通の人間たちでした。欠点ばかり多かった弟子たちが、その後、どういう理由で立派な伝道者に変わっていったのかということは、とても重要なテーマです。…私たちは聖書にある4つの福音書を、主イエスの弟子たちへの教育の記録としても読むことが出来るでしょう。そして使徒言行録以下の文書が書き留めているのは、主イエスが地上を去ったあとの弟子たちの活躍なのです。

 

仏教を始めた釈迦にも弟子がいました。五百羅漢と言いますから、とても多かったのでしょう。中国の孔子にもたくさんの弟子がいました。師とその弟子という関係は、宗教以外にも剣道、お茶やお花など多方面に今も残っています。偉い先生であればあるほど、弟子となるためには行って熱心に頼まなければなりません。何回も、何回も断られたあげく、やっと入門を許されたと言うような話はよく聞くところです。

しかし、これに対し、主イエスと弟子たちの関係はちょっと違うのです。試しにイエス様に「弟子にして下さい」と頼んだ人がいたのかどうか、調べてみたら、…一人いました。主イエスに悪霊を追い出してもらった人です。その人はもともと狂乱状態で墓場に住んでいた人で、正気に戻ったあとイエス様にお供したいとしきりに願ったのですが、イエス様はお許しにならないで、「自分の家に帰って、神があなたにしたことを話してあげなさい」と言って帰してしまわれました(マルコ5:1820)。

それでは弟子となった人たちはどうだったのか、ここに名前が挙がっている12人のうちペトロとアンデレとヤコブとヨハネはガリラヤ湖で働く漁師でした。みんな、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という主の呼びかけに従って、網を捨てて弟子となったのです。…ヨハネ福音書の初めにはフィリポとナタナエルが主イエスに呼びとめられて弟子になったことが書いてあります。このナタナエルは10章3節にあるバルトロマイと同一視されています。…マタイが弟子になった話は昨年礼拝で取り上げました。徴税人マタイも、イエス様の「わたしに従いなさい」という言葉に従って弟子になったのです。その他の人については、弟子になったいきさつは聖書に書いてありませんが、みんな自分から弟子を志願したのではなく、イエス様の招きに従って弟子になったものと思われます。

イエス様にお供したいとしきりに願った人が許されなかったことについてはイエス様の深いお考えがありました。この人は弟子になるかわりに、自分がいる場所で神様がして下さったことを語るという別の大切な役割が与えられています。

12人については、彼らのほとんどが自分から弟子になりたいと申し出たのではなく、イエス様が一方的に呼び寄せたというのが本当でしょう。イエス様ご自身、最後の晩餐の席で、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と語っておられます(ヨハネ1516)。そうして、10章の1、2節で書いてあるように、彼らはイエス様によって使徒とされたのです。使徒と言うのは、原文では遣わされた者という意味があります。彼らは主イエスから遣わされた人々なのです。

 

それにしてもこの集団は、なんと雑然としたグループでありましょう。全員がユダヤ人の男性であるということを除けば、共通点はないように思えます。この中でペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネなどは漁師でした。一方バルトロマイは王家につながる家柄の良い人ではないかという説が有力です。…マタイのような徴税人はこの時代、世間から売国奴として軽蔑されていました。一方、祖国ユダヤの独立をはかろうとする熱狂的愛国主義者のグループ「熱心党」に属するシモンもいました。この人は今日、見方によってはテロリストと言われかねません。

そこには労働者も上流階級の人も、社会から差別されている人も、過激派と言われていた人もいたのです。そんな彼らを一つに結びつけているものが何であるかとしたら、それはただ主イエスが選んで下さったこと以外にありません。イエス様が父なる神のみこころを問うて祈りつつなされた選び、それがこの集団が存立する根拠です。だからこそ、これは教会の縮図なのです。…今ここにいる皆さんの中で、自分の意思で広島長束教会の礼拝に参加したという人がおられるかもしれませんが、イエス様のお招きがなければここにいることは出来なかったということは、知っておいて下さい。

 

それでは、ここで弟子たちを使徒として選び、伝道へと派遣される主イエスに目を移してみたいと思います。前回、学んだところですが9章35節を見ましょう。「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」。

ここに主イエスの伝道の原点があります。主は足を棒のようにしながら、町々村々を回られました。では、主イエスにこの伝道をさせる原動力となったものがどこにあったのか、それは9章36節に書いてあります。「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」。

皆さんはここから、物乞いや病気の人が路上にあふれているような光景を想像されるかもしれませんが、実際にはそれほど貧しくはなかったと考えられます。大部分の人たちは肉体的にも経済的にもまあまあの暮らしをしていましたが、しかし精神的には誰をとっても飼い主のない、打ちひしがれた人々でしかなく、みな救いを必要とする者たちだったのです。主イエスはそんな人々を見て、深く憐れまれました。本人たちは、憐れみなんて必要ないと思っていたかもしれませんが、イエス様から見ればそうだったのです。ここで「深く憐れむ」と訳されている言葉の語源は「はらわた」です。主イエスは、ご自分の体が痛むほどの思いをいだかれたのです。

もしも主イエスが今の私たちをご覧になったとしたら、満足されるでしょうか。それとも自分のお体が痛む思いがするほど深く憐れまれるでしょうか。私を含め多くの人が、自分のことをまともな人間だと信じていて、つらいこともあるけれど、時には羽目をはずして楽しんだりし、そんなことを繰り返しながら、「これで人生が過ぎていく、もうそろそろ自分にもお迎えが来るかな」なんて思って生きているのかもしれませんが、…イエス様がそんな自分をご覧になったら、と考えることが必要だと思います。

ともあれ、ここまで人々に対する愛に生きたお方を目の前で見ていた弟子たちの中に、どれほど大きな感動が生まれたことでしょう。このイエス様はやがて、弟子たちが想像も出来なかったこと、愛のきわみである十字架で命を終えることになるのです。それは、人々が思い描いていた救い主のイメージからは全くかけ離れていましたが、それこそ聖書によって初めて世に明かされた神の姿だったのです。

 

主イエスの12使徒の名前は、マルコ(3:1319)とルカ(6:1219)の福音書にも記されています。それらを並べてみると、マタイにあるタダイという人がルカには出て来ません。またマタイにはないヤコブの子ユダという人がルカに出て来たりして混乱してしまいます。一人ひとりについて調べていくとこのようにわからないことが出て来るのですが、それらの名前に共通していることがあります。12使徒の筆頭はいつもペトロで、最後はイスカリオテのユダであるということです。

ペトロは主イエスの最初の弟子として、召された人です。その後、イエス様に向かって「あなたはメシア、生ける神の子です」というみごとな信仰告白をいたします。弟子たちの中でのリーダー格的存在でした。しかし彼はイエス様が逮捕された大事な時に、「そんな人は知らない」と言ってイエス様を裏切ってしまうのです。しかしその後、絶望の中から立ち直っていきます。

弟子たちのネームリストの最後にいつもあげられるのがイスカリオテのユダです。聖書は、主イエスを裏切ったユダが、主によって選ばれた弟子の一人であることを隠そうとはしません。この人も12弟子の一人であり、使徒であったという事実を明らかにするためです。…主イエスがイスカリオテのユダをも召して弟子にしたとしたら、そこにはどんなみこころがあったのでしょう。イエス様はユダがご自分を裏切ることを知りながら弟子にしたのか、それとも、この時点では将来の裏切りは確定していなくて、イエス様は彼を正しい方向に導こうとされていたのか、…謎は深まるばかりですが、これから福音書を読み進めるうちに明らかになっていくことを望みます。

 

主イエスはこの12人を伝道のために派遣なさることとし、それに先立って5節から15節に書いてあることを命じられました。今日、これらを語り尽くすことは出来ないので来週に回しますが、これだけは押さえていて下さい。

主イエスは伝道することを収穫にたとえておられます。9章37節、「そこで、弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」

収穫とはもとの意味では、畑から麦などを刈り入れることで、収穫の実りは蔵に収めます。これはもちろん、人々を神様のもとに集めて救いに入れること、神の国に迎え入れることです。だから10章7節に書いてあるように、イエス様は弟子たちに「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と命じておられるのです。伝道していくとき収穫は多いのです。しかし、そのために働く人は多くはありません。そこで働き人を送ってもらえるよう、祈らなければなりません。

農民にとって刈り入れは一年の内でもっとも喜ばしい時です。だから収穫祭が行われたりするのですが、伝道という観点からは別のことも見えてきます。…刈り入れは農民にとっては喜びの時ですが、逆に畑の方から言えば、今まで育っていた作物が切り取られ、荒れ地に帰る時でもあるのです。農作物と一緒に育っていた雑草からいえば、滅びの日でもあるわけです。一つの土地に良い麦と悪い麦が育っていたら、刈り入れの日に良い麦は収穫されますが、悪い麦はまとめて焼かれてしまいます。つまり刈り入れの時、神様に喜んで迎えてもらえる人がいる一方、神様に棄てられてしまう人も出るということです。

このことがわかれば、福音を告げ知らされながら、その言葉を拒んだ人がどうなるかがわかります。1015節、「はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」

キリスト教が日本に初めて伝わったのが1549年、その後、江戸幕府による厳しい禁教政策がありましたが、伝道の歴史は475年を数えています。ご存じのように日本伝道は数の上ではなかなか進展しませんが、日本にあるキリスト教会はどれも、このままで良いと思っているのではありません。伝道にはタイムリミットがあるのです。もしも神様の定めた期間までに伝道の仕事が終わらなければ、主イエスの救いのみ手からこぼれ落ちた人々がどうなるか、わからないじゃないですか。だから教会は、うかうかすることは出来ないのです。

主イエスの目から見て、飼う者のない羊のように弱り果て、打ちひしがれている人々は今も数え切れないほどたくさんいます。もしかしたらその中に、私たち自身も入っているかもしれません。まず私たちが心を入れ換えて、主イエスとその言葉を、またいつもと同じかということではなく、乾ききった大地の中で水を求めるように、真剣な思いをもって受け取めて、信仰生活の新たなスタートを切りましょう。その時が、まさに今来ています。

 

(祈り)

恵み深い神様。あなたの御子イエス・キリストの憐れみの中で、私たちがこうして生かされ、礼拝にあずかる恵みをたまわっていることを感謝申し上げます。

人間は、自分でいくら自分のことを偉いと思っていても、神様を求めてゆかない限り、飼い主のいない羊と変わりないことを教えられました。自分がいかに力のないものであるか知ることは、弱さがそうさせるのではなく、神様と共に力強く生きるためです。

神様、イエス様の12人の弟子たちは、みなイエス様のもとで訓練を受けて、一人を除いて立派な伝道者となりました。今ここにいる私たちの中の多くは、職業的な伝道者ではありませんが、しかし、それが何だと言うのでしょう。私たちはどこにいても、キリストの手紙であり、キリストの香りです。とても荷が重いことではありますが、この世の中で神の愛と正義を示す者として立てられているのです。どうか、この務めを果たすことが出来ますよう、神様の知恵と力を、聖霊を通して与えて下さいますように。そして、そのところから教会がさらに立ちあがってゆきますように。

いま大地震の中から立ち上がろうとしている人々に力を与えて下さい。広島長束教会と、ここに連なるすべての人を祝福して下さい。

 

この祈りをとうとき主の御名を通して、み前にお捧げいたします。アーメン。