祝福の系譜

祝福の系譜  創世記221518、マタイ1117  2023.12.10

 

(順序)

前奏、招詞:詩編13613、讃詠:546、交読文:詩編23篇、讃美歌:23、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:312、説教、祈り、讃美歌:109、信仰告白:使徒信条、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:541、祝福と派遣、後奏

 

 今日からクリスマスまでの3回の礼拝で、マタイ福音書を読みこんでいこうと思っています。ただ、この福音書の冒頭は、ご覧の通り、舌をかみそうな名前がたくさん並んでいて、これにどんな意味があるのかと思った人もいるかもしれません。

 皆さんの中で、お家に先祖代々の家系図が置いてある方はおられるでしょうか。自分の先祖は平安時代の貴族だったとか、あるいは清和源氏の流れを組む武士だったというようなことを誇りに思っている人がいますが、中には、先祖が封建社会の中でいちばん下の身分であったことを誇りに思っている人もいるかもしれません。ご先祖様に思いをはせるのは、それはそれで大切なことだと思うのですが、ではそうした系図とここにあるイエス・キリストの系図は同じものと見て良いでしょうか。

 イエス・キリストの系図というのは、ルカ福音書の3章にもあります。そこではイエス様から昔へ、昔へとさかのぼって「アダム、そして神に至る」となっています。人類の始祖アダムが出て来るのですが、マタイ福音書の場合、アダムは出て来ません。いきなりアブラハムから始まるのです。「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」と書いてありますね。アブラハムそしてダビデを大きく取り上げてイエス様につなげているという点では、ほかの多くの系図とは違っているのです。

 系図の最後には「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」となっています。皆さんご存じのように、ヨセフとイエス様には直接血のつながりはありません。そのため、系図を作るのだったら、なぜマリアの先祖をたどっていかないのかという人がいます。ここらへんは謎が多いのですが、そうした系図を作れたとしても、イエス様は果たしてアブラハムの子ダビデの子と言えるかどうかという問題が起こります。別の系統になってしまう可能性があるのです。…難しいことは抜きにして、マタイ福音書はヨセフとイエス様は直接血のつながりがなくても、法的に父と子の関係になっているので、これで良しと見なしています。その上でアブラハムの子ダビデの子ということを強調したのだと思われます。

 まだまだいろいろなことがありますが、このあとふれていくことといたします。

 

マタイ福音書はここに「イエス・キリストの系図」とはっきりタイトルをつけています。イエス・キリストとは誰なのか、皆さんの中には、キリストはイエス様の苗字だと思っている方はおられないでしょう。マタイはここでイエス・キリストと書いた時すでに、イエスはキリスト、すなわち救い主であるという信仰を表明しているのです。マタイはこの方について、「アブラハムの子ダビデの子」と書きます。イエス・キリストはアブラハムの子であり、同時にダビデの子であるのです。

アブラハムは紀元前2000年ころの人物で、イスラエル民族すなわちユダヤ人の先祖です。今日のユダヤ人はアブラハムとその子イサク、さらにその子のヤコブの系統に属しています。ただアブラハムはユダヤ人の先祖だけではおさまりません。アブラハムの最初の子はイシュマエル、今日、アラブ人は自分たちはアブラハムの長子イシュマエルの子孫だと称しています。ユダヤ人にとってもアラブ人にとっても、つまりユダヤ教においてもイスラム教においても、もちろんキリスト教においても、アブラハムは信仰の父として仰がれています。このことは今日の中東情勢を判断する上で大事なので知っておいて下さい。

神は創世記12章で、アブラハムにこう言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。」

アブラハムがもともと住んでいたカルデアのウル、今のイラクの中にありますが、そこは偶像崇拝の盛んな地でした。彼は神の言葉を受け取ってはるばるカナンの地へと移住します。これは、本当の信仰を確立するための欠かせない一歩でありました。神が言われた「あなたを大いなる国民にしよう」と「祝福の源になるように」、これは途方もないことで、アブラハムがすぐに理解できたとは思えません。その時75歳のアブラハムには子どもがいませんが、それにもかかわらずあなたの子孫は大いなる国民になり、祝福の源になると言われたのです。しかしアブラハムは、理解できない神様の言葉を信じました。

その後、神に導かれて到着したカナンの地で待望の息子イサクが与えられますが、神はアブラハムを試して、イサクを焼き尽くす献げ物としてささげなさいと命じられました。アブラハムがイサクをささげようとした瞬間、神はその手をとどめ、イサクは助かりました。アブラハムはそこで見つけた雄羊を息子のかわりにささげ、その地をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けるのですが、その時神は「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」(2218)と言われました。「あなたの子孫」とは、アブラハムの子孫であるイエス・キリストにほかなりません。これほど大きな約束の言葉が他にあるでしょうか。地上の諸国民、つまり世界の人々は、あなたの子孫、アブラハムの子孫であるイエス・キリストによって祝福されることになるのだと。その意味でイエス様はアブラハムの子なのです。

 

イエス様はダビデの子でもあられます。ダビデは紀元前1010年ころイスラエルの王となって、強大な国家を造りあげました。さまざまな過ちも犯し、そのために神の裁きを受けつつ、神によって王として立てられた人物です。神は預言者ナタンを派遣してダビデ王にこう告げられました。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。」(サムエル記下7:12)

ダビデの子ソロモンの時代、王国は最盛期を迎えましたが、ソロモンの死後、王国は分裂、やがて両方とも滅んで行きました。イエス様の時代、ユダヤ人はローマ帝国の支配下にあって、独立国家を持つことが出来ません。他民族の支配下にあえいだまま何百年となるユダヤ人は、ダビデの子の再来を切に待ち望んでおりました。ダビデの子こそ救い主、昔のイスラエルの栄光を再び取り戻してくれる方だったのですが、マタイはイエス・キリストこそ、そのダビデの子であると告白しているのです。

イエス様はダビデ王のような、軍事力を用いて強大な国家をつくりあげるような王ではなかったのですが、それにもかかわらず、ダビデに対する「あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」という約束はまさにイエス様によって実現しました。イエス様が子ろばに乗ってエルサレムに入城した時、群衆は歓呼して「ダビデの子にホサナ」と叫びましたが、その言葉は本当のこととなりました。イエス様の死を見届け、さらに復活したイエス様に会った人たちに、この方こそ本当にダビデの子であり、その王国が世界の中で揺るぎなく立っているという信仰が与えられたのです。

このように、イエス・キリストがアブラハムの子であり、かつダビデの子であると言われていることから、この系図がただ由緒ある家柄を自慢したものではなく、信仰的な歴史理解に基づいて作られたものであることがわかります。

                                                                    

この系図は3部構成になっています。第1部がアブラハムからダビデまで、第2部がダビデからエコンヤとその兄弟たちまで、第3部がバビロンに移住した後ということで、エコンヤからイエス・キリストまで、となっています。

系図の第1部、アブラハムからダビデまで、これはアブラハムが約束のカナンの地に移住したことに始まり、ダビデが強大な王国を築くまでですから、途中でエジプトでの苦しみや荒れ野の40年などさまざまな困難があったにしろ、この一族にとっては上に向かって昇って行く、比較的良い時代だったと言えましょう。

系図の第2部、これは転落の始まりとその結果です。ソロモン王の時、イスラエルは最盛期を迎えましたが、ソロモン王はたくさんいた妻たちに迷わされ、異教の神々を拝んで神を怒らせてしまいます。その子レハブアムの時に王国は分裂、やがて最後まで残っていたユダ王国も滅び、ユダヤ人はバビロンに連れて行かれてしまうのです。

そして第3部で、この家系は忘れられたものになって行きます。エコンヤという人はユダ王国の王の血筋ですが王となることはなく、亡国の時代を生き抜きました。エコンヤの子シャルティエルは捕虜となってしまいます(歴上3:17)。ゼルバベルはバビロン捕囚から解放されて約束の地に戻ってきたユダヤ人の指導者として聖書に記録されていますが(エズラ5:2等)、アビウド以降の人々の名前は見当たりません。王家の子孫ではあっても、権力者でもなければ祭司などでもなく、普通の人になっていたようです。そしてヨセフに至るのですが、彼はダビデの家に属し、その血筋であっても、日本でいうところの本家に属していたのか分家に属していたのかわかりません。ヨセフはガリラヤのナザレという辺境の地に生きていた貧しい庶民の一人、一介の労働者でした。一国の王であった先祖とはまるで違っていますが、それは不幸なこととは言えません。神が偉大なことを始められました。それがイエス様の登場によって明らかになるのです。

 

この系図にはさらに他の系図と違う特色があります。普通の系図によくあるような、由緒ある家系を見せびらかし、都合の悪いところを隠すようなところがないのです。

 

ここには4人の女性が登場しています。それもアブラハムの妻サラのような尊敬される女性ではありません。3節のタマルは、自分の夫の父親であるユダを誘惑し、その結果、双子のペレツとゼラを産むという、大変な事件を起こしています。5節のラハブは神の民のために大きな功績がある人ですが、娼婦でした。同じく5節のルツは信仰者としてすぐれた人でしたがモアブの女、異邦人です。自分の家系に異民族の血が入っているなんて、プライドの高い人は書きたがらないものです。6節のウリヤの妻とはバト・シェバで、彼女も異邦人だった可能性があります。夫が留守の間にダビデ王と不倫の関係になりました。マタイはただ「ダビデはバト・シェバによってソロモンをもうけ」とだけ言っても良さそうなのに、わざわざ「ウリヤの妻によってソロモンをもうけ」と書いて、ダビデ王が重大な罪を犯したことを明記したのです。