私たちの病を担うイエス

私たちの病を担うイエス  イザヤ53:1~5、マタイ8:1417 2023.6.4

 

(順序)

前奏、招詞:詩編13215、讃詠:546、交読文:イザヤ58:9~11、讃美歌:27、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:70、説教、祈り、讃美歌:495、信仰告白(日本キリスト教会信仰の告白)、(聖餐式204)、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:544、祝福と派遣、後奏

 

福音書にはイエス・キリストが病人と出会って病気をいやして下さった話がたくさん載っています。今日のお話もその一つです。そのため、ああまたこの話か、イエス様がそんなにすごいことをなさったのなら、いま自分がかかっている病気も早く治して下さいよ、と思っている人がいるかもしれません。

私たちがイエス様のなさった奇跡の話を聞くと、こんなことは本当にあるのかなという気持ちになることがあります。しかしその一方で、奇跡が本当にあってほしいという気持ちもあるはずです。もしも聖書に書いてあることが本当なら、神様はいまその力を発揮してほしい、私たちを救ってほしい、それが多くの人の心にある共通の願いではないでしょうか。こうした思いを持つ人々に向けて、聖書は何を語っているのでしょう。

 

マタイ福音書を読んでいくと、イエス様にとってその日はたいへんに忙しい一日であったように思えます。8章1節に「イエスが山から下りられると」と書いてありますね。イエス様は山の上で、大勢の人たちを前に、あの歴史的な山上の説教をされました。そうして、山から下りられたあと、まず重い皮膚病を患っている人がイエス様に近寄ってきたので、「よろしい、清くなれ」と言われてその病気を清くなさいました。カファルナウムの町に戻ると百人隊長が来て、僕の病気を治してほしいと言うので、快くそれに応じられました。…そのあと弟子のペトロの家に入ると、ペトロのしゅうとめが熱を出して寝込んでいます。夕方になると悪霊に取りつかれた人たちがやってくる……ということで、まことにあわただしい一日を過ごされたことになります。

ただマタイ福音書8章14節から17節のお話はマルコ福音書やルカ福音書にも入っていて、それらは山上の説教のあとに起こったようには書いていません。どういうことかと申しますと、マタイが福音書を書くにあたって手もとにある材料を主題別にまとめた可能性が多いということです。山上の説教のところではイエス様がいろいろな所でお話しされた内容を一つにまとめ、山から下りられると今度は奇跡の話を立て続けに出してきたということです。だからマタイ福音書に書いてある通りの順序ですべてのことが起こったとは考えにくいのです。それでもイエス様が粉骨砕身、わずかの時間も惜しんで働いておられたことだけはおわかりかと思います。

ガリラヤ湖に面したカファルナウムにペトロの家がありました。石造りのなかなか立派な家で、現在もその遺跡が残っています。主イエスはここをご伝道の拠点として、ご自分と弟子たちの宿泊のために用いておられたのです。

主イエスの弟子たちの家庭生活については、ほとんど知られておりませんが、唯一の例外がペトロです。彼は結婚していました。のちにペトロ夫妻が一緒に各地を伝道してまわったことが聖書に書いてあります(Ⅰコリント9:5)。カトリック教会の歴代ローマ教皇は独身ですが、最初のローマ教皇とされているペトロは結婚していたのです。

ペトロの家にはしゅうとめが住んでいました。ペトロの妻の母親で、熱を出して寝込んでいました。当時ヨルダン川がガリラヤ湖に入るところが沼地になっていて、蚊が大量に発生したため、マラリヤにかかる人が多かったといいます。その病気はマラリヤだった可能性があります。

私たちはこの時のおしゅうとめさんの気持ちを察してあげたいと思います。彼女は娘の嫁ぎ先のご厄介になっています。ペトロは少し前まで漁師の生活をしており、イエス様の弟子となってからはどうやって生計を立てていたのかわかりませんが、そこが実家だったのです。その家に住まわせてもらっているおしゅうとめさんが、台所仕事でも洗濯でも裁縫でも、何か仕事が出来れば良いのですが、病気とあってはそうはゆきません。熱病に苦しむだけでなく、何も出来なくて申し訳ないという肩身の狭い思いをしていたのではないでしょうか。

このおしゅうとめさんが信心深い人だったら、安息日ごとの礼拝が何より有り難いものだったはずですが、出席することが出来ません。その日、隣の部屋ではイエス様と少なくとも4人の弟子たちがいましたが、イエス様を筆頭に若い人が多く、食欲も旺盛で、にぎやかにしていたでしょう。…その時、おしゅうとめさんは一人孤独で、寂しい、情けない思いでいたはずなのです。

しかし、主イエスはすべてをごぞんじでした。イエス様がその手にさわられると、熱がすーっと引いてゆきました。そして、すぐに起き上がりました。高熱が襲っていたのですから、体力の消耗はたいへんなものだったはずです。普通の医者なら、平熱に戻ってから体力を回復させるために、次の手を打つと思いますが、イエス様の治療は患者をすぐに起き上がらせたほど驚くべきものでありました。

けれどもここには、イエス様の超人的な能力を証明する以上のことがあるのです。皆さんに注目して頂きたいのは、おしゅうとめさんが起き上がったあとに書かれているなにげない言葉です。「しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした」と書いてありますね。その場所にはイエス様の他にも何人かいたので、彼女はみんなにご馳走をふるまったのでしょう。…そこに、ただイエス様にご恩返しするというだけでは語り尽くされないもの、自分が人のために役立つことが出来るという喜びが見えてこないでしょうか。主イエスはただおしゅうとめさんの病気を治しただけではないのです。生きる喜びをも取り戻してあげたのです。

 

さらにこのあと夕方になると、人々が悪霊に取りつかれた大勢の人たちを連れてきました。マルコとルカの両福音書ではこの日は安息日だったと書いています。安息日には一切の仕事が出来ません。医者の前に病人を連れて行くことも出来ません。しかしこの当時、一日は日没から日没までとなっていました。日が暮れて安息日が終わるのを待って、病人を連れてきたということですが、きっとごったがえしていたのでしょう。

悪霊に取りつかれたとはどういう状態なのか、今日ではおもに二つの考え方があります。一つは、これは統合失調症などの病気だというものです。もう一つの考え方が、文字通り悪霊に取りつかれたというものです。イエス様の時代のこのような人々について、録画はもとよりしっかりした観察記録もないので、現代の医学の常識で判断することはたいへん難しいと言えます。

では主イエスが「悪霊を追い出し、病人をいやされた」と書いてあることから、私たちは何を学び、何を受け取ることが出来るでしょう。

まず現代において、イエス様が行ったような方法で病気を治すことが出来るかということが問われなければなりませんが、この問題に対しては、これをいちがいに肯定することも否定することも出来ないと申し上げましょう。神様から力を与えられた人を通して、難病が治るということが時にはあるのかもしれません。

19世紀のドイツにヨハン・クリストフ・ブルームハルトという牧師がいました。彼は赴任したメットリンゲンという町でゴットリービン・ディートゥスという少女に出会います。少女は悪霊にとりつかれているとしか思えない、数々の奇怪な症状がありました。そんな時、ブルームハルトの方はなす術もなく、祈るのみでした。そんな状況が何日も何日も続きました。しかしある時、牧師は憤激にかられて少女の手を組ませ、「主イエスよ、お助けくださいと祈りなさい。わたしはこれまで悪霊の業を見てきた。これからは、主が何をしてくださるかを見よう」と叫んだのです。すると、少女に変化が起こりました。少女は「イエスは勝利者だ」と叫びました。こうして悪霊との闘いは終わったのです。

これは、はっきりと記録が残されている出来事です。性急な判断は下せないのですが、このようなことがこれからもあるかもしれません。

日本キリスト教会の蓮見和男牧師も「日本キリスト教会がこれまで病気治療のことを軽視していたのは間違いだ」と発言し、この面での新たな取り組みの必要性を語っていました。

それでは、仮に奇跡的な力を持った人が現れたとしたら、その人を信じれば良いので、医者はいらないと言うことになるのでしょうか。そんなことはありません。世にあるいろいろな宗教で、お祈りすれば病気は治るから医者にかかるなと教えるものがあります。その結果、医者にかかれば治る病人がむざむざ死んでしまったと、親族が涙を流して告発するということが起こります。そんな宗教には近づかないことです。主イエスだって、医者がいらないと言っているのではありません。

しかしこれとは反対に、病気にかかったとき、病院だ、医者だとそればかりに心をくだいて、祈りの力を軽んじるのも愚かなことです。今日、クリスチャンが病気になっても、回復を願ってお祈りすることもなければ、牧師や長老に知らせることもなく、ただ医学や薬の力だけで治そうとすることがたいへん多いです。

聖書はヤコブの手紙5章の1416節でこう教えています。「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい」。

病気になったときに教会の人に来てもらうのは、まず「主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらう」ためです。オリーブ油は当時、傷口に塗る薬だったので、これは「主の名によって適切な治療を施し、祈る」ことを意味します。信仰者はお祈りすれば医者はいらないと言うのではなく、また医者がいればお祈りしなくて良いと言うのでもなく、神様が医療のわざを祝福して下さるよう、祈ってゆかなくてはなりません。…さらに、ヤコブの手紙の中に罪について書いてあることも注目すべきです。病気と人間の罪の間には言わく言いがたい関係があり、神様に病気を治していただくために、罪の問題を解決しなさいと教えられているのです。

どうして人間は病気になるのか、どうすれば病気は治るのか、その根本のことは今日でも、窮めつくされているとは言えません。こんな話があります。8年間も、実にしつこい湿疹で青春時代を悩み通した女性がいました。名医という名医をたずねましたがよくなりません。ところが、知人の紹介で会ったある年取った開業医が、彼女の訴えを聞いて「つらかったでしょうな」と言って涙を浮かべたのです。お医者さんの言葉を聞き、その涙を見たとき、彼女の心はいいようもないほど安らいだということです。数日後、母親が見ると、彼女の首すじや手がすっかりきれいになっていました。それで本人も、いつのまにか本当にいやされている自分に気づいたのだそうです。

これは日本キリスト教団の角田三郎という牧師の本に書いてあったことで、本人から直接聞いたことだそうです。ここでは、今までのどの医者にもなかった深い同情といたわり、その言葉と涙が彼女をいやしたのだと言えるでしょう。…このような事実が主イエスの奇跡の謎を解く鍵となるはずです。つまり、このたぐいまれなお方は、病人の魂の一番深い底まで届く言葉と行いをもって病気を治されたのです。主イエスは現代最高のカウンセラーよりも、もっと能力のあるお方でした。今日、グリーフケアということが叫ばれ、これは悲嘆に暮れている人を立ち直らせることですが、こうした取り組みを進めて行く上にも、主イエスがなさったことをさらに究めていくことが求められていると言えます。

 

この日の主イエスの働きぶりを見た福音書の著者は、最後に旧約聖書を引用しています。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」。イザヤ書53章4節の言葉です。これは「苦難の僕の歌」と呼ばれるものの一節です。時間の関係で詳しく述べることが出来ませんが、この詩はその後数百年後に現れるイエス・キリストを予告しています。

主イエスの行った病気治療、それはお金もうけのためでも名声を得るためでもありません。主イエスは病人と同じ立場に立ち、その苦しみを身に引き受けることによって、その病気をいやされました。現代のカウンセラーの仕事でも、その精神的な重荷はたいへんなもののはずです。ですから、主の引き受けられた重荷はいったいどれほどかと思うのです。主イエスはやがて病の原因たる罪そのものを地上から一掃するために十字架にかかられました。

私たちはもう一度、主イエスに病気を治してもらった人々のように、病んでいる心と体を神様に見てもらうべきです。礼拝や祈りによって神のみこころにふれることは、必ず心身に何か良い結果をもたらしてくれるはずです。主イエスは、その場しのぎの治療ではない、病の根本に迫り、これを克服する力を世にもたらしたのですから。

 

(祈り)

主イエス・キリストの父なる神様。み名をあがめます。

さまざまな病気をかかえて私たちは、ひたすら健康な体と長生きすることを求めています。しかし、医者に治してもらったらそれで良いと思う前に、まず自分の心に病んでいるところがないか、勇気をもって見る者として下さい。すべての病気の原因は、自分の罪であれ、他人の罪の結果であれ、罪そのものにあるからです。

神様、いま自分以上に病気で苦しんでいる人々のことを思います。どうか、その方々に神様が苦しみに耐える力を与え、それによって病気を克服する道すじを示して下さいますように。そのことが病気で苦しむ人の人生に希望の光を与え、たとえ病気が治らなかったとしても健常者以上のすばらしい人生をおくることが出来ますように。

 

丈夫な人よりも、病気の人を愛し、その人たちのためにその人生を燃焼しつくしたイエス様がたたえられますように。この祈りを主のみ名によって、み前にお捧げいたします。アーメン。