病人をいやすイエスの言葉

病人をいやすイエスの言葉 レビ134547、マタイ8:1~4 2023.5.7

 

(順序)

前奏、招詞:詩編1313、讃詠:546、交読文:イザヤ58:9~11、讃美歌:26、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:83、説教、祈り、讃美歌:290、信仰告白(日本キリスト教会信仰の告白)、(聖餐式206)、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:542、祝福と派遣、後奏

 

今朝私たちに与えられているのは、イエス・キリストの山上の説教に続く物語です。主イエスが山から降りられると、大勢の群衆がついてゆきました。そのとき一人の病人が来て主イエスに助けを求めました。主イエスは手を差し伸べてその人に触れ「よろしい、清くなれ」と言われました。すると、病気は清くなってしまったと言うのです。

 

まず、ここに出ている病気について考えてみましょう。いま長老が聖書を朗読した時、「すると、一人の重い皮膚病を患っている人が」と読んでもらいました。自分が持っている聖書は「らい病」となっていて、あれっと思われた方がおられたはずです。新共同訳聖書はこの部分を初め「らい病」と書いていたのですが、その後、「重い皮膚病」に訂正しました。ですから、いまこの聖書を買うと「重い皮膚病」になっています。

なお新改訳聖書は「すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て」となっています。マタイ福音書の原文では病気の名前がレプラとなっていますが、それを使わないで旧約聖書のレビ記で使われている言葉を持ってきています。さらに2018年に発売された聖書協会共同訳では「すると、規定の病を患っている人が近寄り」と。規則の規、定期券の定で、規定の病という言葉を作ってきました。なぜ、そんなややこしいことになっているのでしょう。

日本では1996年以来、らい病という言葉をやめてハンセン病と言うようになったので、これに従ってお話します。日本政府は1907(明治40年)に「らい予防法」という法律を制定して、患者に対して悪名高い隔離政策をとりました。患者はひとたび療養所に収容されると、一生そこから出ることが出来ません。すさまじい人権侵害が行われたのです。これではいかんということで「らい予防法」が廃止されたのが1996年、ハンセン病補償法が成立し、患者の方々が名誉回復したのが、やっと2001年になってのことです。

それでは聖書でいう重い皮膚病とはハンセン病のことなのでしょうか。これまで重い皮膚病はすなわちハンセン病と考えられていたのですが、最近ではそうとは限らないということになってきました。…レビ記の13章と14章は「重い皮膚病」について書いています。レビ記13章2節、「もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合、その人を祭司アロンのところか彼の家系の祭司の一人のところに連れて行く。祭司はその人の皮膚の患部を調べる。患部の毛が白くなっており、症状が皮下組織に深く及んでいるならば、それは重い皮膚病である。」

これだけならわからないこともないのですが、しかしレビ記1347節は「衣服にかびが生じた場合」、祭司に見せた上で焼き捨てなさい、1434節では「家屋にかびが生じるならば」、この場合でも祭司に見せた上で、家を封鎖したり、かびが生じている部分を捨てなければならないと言うのです。…要するにレビ記では。重い皮膚病も、衣服や家屋に生じるかびも全部一緒くたにして、祭司の判断を仰ぎ、処置をしなさいと言っているのです。…さらに、ハンセン病の場合、必ず神経のマヒという症状があるのですが、聖書にはそのような症状のことは言及されていません。…というわけで、聖書に出て来る「重い皮膚病」の実体ははっきりせず、ハンセン病だと見做して良いのかどうかも疑問とされています。これ以上のことは、医学の知識がある人に聞いて下さい。

さて、レビ記には、この、重い皮膚病にかかった人への注意事項が書いてあります。レビ記1345節、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」。

このような厳しい掟があるので、ルカ福音書に出てくる人のそれまでの人生がどんなものであったかはだいたい想像がつきます。他の人がいるところでは、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と言わなければなりません。共同体からは排除されます。これはたいへんなことです。重い皮膚病はただの病気ではなかったのです。病気というより汚れとされました。イエス様が普通の病気を治すと「いやされた」と書かれていますが、重い皮膚病を治した場合はその言葉を使いません、3節では「清くなった」と書かれているのです。(今日の説教題を「病人をいやすイエスの言葉」としましたが、「病人を清めるイエスの言葉」とすべきだったかもしれません。)

律法で、重い皮膚病の人に対して、なぜこれほどまでに厳しいというか、残酷な掟を定めているのかと言うのは、たいへん難しい問題です。レビ記の該当箇所を語った説教を読むと、神が罪に対してどう対処されるかを述べているなどと書いてあり、こうしたことは真剣に検討する必要があるのですが、すっきりしません。神様の意図がわからないのです。ただ、はっきりしていることは、主イエスの登場によって、それまでのやり方が改められたということです。…重い皮膚病は汚れとされていたので、その時まで、健常者の側は重い皮膚病の人たちに差別意識を持って、追いつめていました。この病気にかかった人は、社会から閉め出され、人々の憐れみにすがってどん底の生活を続けるほかなかったのですが、イエス様によってそこに革命的な転換が起こったのです。

 

重い皮膚病にかかった人が主イエスのもとに近よってきましたが、この人は何の妨げも受けずにそこまで来たのではないでしょう。その場にいた人たちは、主イエスの弟子たちも含め、この人を一目見るやいなやあっと叫んで後ろに身を引いたのではないかと思います。

その時、もしも私たちがその場にいたとしても、やはり、他の人々と同じような反応を示すのではないでしょうか。「この連中がいるから、我々は健康な生活が出来なくなる。だから我々の前から消えていってほしい」と思ってしまうかもしれません。大多数の人たちの幸せのためには少数の人が犠牲になってもしかたがないという気持ちが、私たちの中にもあると思うのです。

しかし、主イエスのなさったことはこれとはまったく反対です。主イエスは有名なたとえ話の中でこう言われました。「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」(マタイ1812)。平和に暮している大勢の人たちを置いてでも、迷い出た一人を追いかけて行くのが、イエス様のなさったことでした。

 

重い皮膚病の人と主イエスの出会いは、その場にいあわせた人たちにとって、まるで腰を抜かすような出来事でした。突然の患者の出現を人々は恐怖の面持ちで見ていたと思います。彼は主イエスの前に来ると、ひれ伏して「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言いました。

重い皮膚病の人は、当時、礼拝への参加も許されません。社会の中では、神に捨てられた者と見做されていました。この人がイエス様の噂を聞いた時も、これでどうなるものでもないという思いがあったでしょう。しかし彼の心に、神が自分を見捨てているように見えても、神が本当に神ならば自分を清めて下さるに違いないという、ひとすじの希望がわきあがったはずです。彼は、全能の神のみ手にすべてを投げかけ、自分の全存在をかけてイエス様のもとに来て、イエス様を拝んだのです。イエス様に助けて頂かなければ、律法を破った者として石で打たれて殺されるほどの覚悟でした。

ここにいる私たちは、この人ほど切羽つまった状況にはないはずですが、それでも、自分なりに全存在をかけて神の前に身を投げてゆこうとする気持ちを持っていたいものです。…ただ、必死でイエス様のもとにかけていったからと言って、それだけで、認めてもらえるのではありません。「主よ、御心ならば……」という思いこそ大切です。私たちにとっても、この人の無謀なまでの大胆さと共に、神の前に自分をむなしくする謙遜な心が必要なのです。

 

重い皮膚病の人の行動は驚くべきものでしたが、このとき主イエスがなさったことも、その時代の人々の常識から見れば信じがたいことでした。イエス様はこの人を叱りつけ、呪いをかけることも出来たのです。そこにいた誰もが、そうすると信じていました。しかし、「よろしい。清くなれ」、世界でたった一人、イエス様が手を伸ばして、その人に触れ、言葉をかけて下さいました。

主イエスの差し伸べた手と言葉がこの人に届いたとたん、重い皮膚病はたちまち清くなってしまいました。たいへん不思議なことですが、これが意味していることから考えてみましょう。主イエスはこの時代に、礼拝に出ることも許されず、社会の中で人格を否定された人に対して、神はあなたを受け入れるということを示されたのです。…ですから、その時以降、イエス様を信じる人が、重い皮膚病の人を差別することは許されなくなりました。

では、なぜ重い皮膚病を清めることが出来たのでしょうか、それはイエス様が手を差し伸べて下さることによって、彼の病をも引き受けて下さったというのが本当のところでありましょう。

主イエスがなさったことは、重い皮膚病の人の隔離を定めた旧約聖書の律法に対する明らかな違反行為でありました。このようにして律法が乗り超えられ、愛に基づく掟が全世界に向かって打ち立てられたのです。

 

主イエスは人を生かし、人を救います。……これまでお話ししたことは、私はたいへん実践的なことだと思っています。たとえ重い皮膚病でなくても、私たちは病気とのたたかいを避けて通ることは出来ません。何か重大な病気にかかった人に対し、あれは神様が罰を下したのだというような見方をして、その人を傷つけてしまうことがないとはいえません。ですから、信仰をもって何十年という方であっても、主イエスに倣って日々自分を改革することが促されているのです。

重い皮膚病がハンセン病とは限らないと申しましたが、ハンセン病もやはりたいへんな病気です。

40年ほど前、横浜海岸教会でマザー・テレサを写した映画を上映したことがありました。インドのカルカッタ、今はコルカタと言いますが、その町に暮らす悲惨な境遇の人たちへのマザーの無償の奉仕を描いたもので、感銘を受けた人は多かったです。しかし、その中にハンセン病患者と思われる人たちが写っているのを見た中学生の男の子たちが「あんなの二度と見たくない」と言うんですね。がっかりしました。この段階を越えてゆかなければ、本当の神の愛を見出すことは出来ないでしょう。

日本には、戦前、北條民雄というハンセン病患者の作家がいました。「自分は何のために生まれて来たのだろう。ただ病んで苦しんで腐って行くために生まれて来たのだろうか」、彼の作品にはこのような深刻な悩みがつづられています。その中に「吹雪の産声」という大変にみごとな小説がありました。療養所の中で、女性患者が赤ちゃんを産む話です。まわりの入院患者がかたずをのんで見守っている中、ついに新しいいのちが生まれ、療養所中はわきかえります。このとき一人の患者が生まれたばかりの赤ちゃんにこう言うのです。「こら、赤児、こっち向いて見ろ、いいか、大きくなったって俺達を軽蔑するんじゃねえぞ、判ったな」。

私はたいへん感動して、この作品のことを沖縄の島田善次牧師に話したことがあります。すると島田牧師はこう言ったのです、「その話は事実だけど、実は続きがある。赤ん坊は殺されたんだ」と。

北條民雄は24年という短い生涯を療養所の中で終えました。その作品には、悲惨な病を通して見えてくる一条の光がありまして、それはこの人が信仰を求めていたことと関係があるように思います。彼がもう少し長く生きたなら、イエス様を信じるに至ったのではないか、と私は思っています。主イエスは、普通の人が想像もできない苦しみの奥底にわけ入って下さり、共に苦しみを担って下さる方だからです。

 

誰もが、聖書に出て来る重い皮膚病の人のような、また北條民雄のような苦しみを味わう必要はありません。しかし、苦しんでいる人のことを心の奥底から感じとる心を失ってはなりません。私たちの中にも、こういう人たちは絶対に受け入れられないという思いが残っているかもしれませんが、その思いが砕け散るように。主イエスが受け入れられる人ならすべて、私たちも受け入れるべきです。

 

(祈り)

天の父なる神様。主イエスと主イエスのもとにかけつけてひれ伏した勇気ある病人のお話を通して、私たちのなまぬるい信仰にショックを与えて下さったことを、あなたからの贈り物と思って感謝いたします。どうか、このお話を通して、私たちの内に主イエスの力と愛を満たして下さい。イエス様のなさったことが、右の耳から左の耳に抜けてしまうことがありませんように。そして、喜びがあなたへの感謝と賛美になって、私たちの上で現されますように、と願います。

神様、私たち自身とそのまわりに心身の病気に苦しむ人がおりますが、どうか、御心ならば、いやして下さい。

 

また、人の目にはなかなかとまらない所で孤独のうちに十字架を負って、みわざに仕えている兄弟姉妹をこそ、祝福して下さい。介護や医療にたずさわる人を支えてあげて下さい。…神様がそばにおられる、それこそが最大の助けです。どうかあなたの愛といのちが、あなたの助けなしでは生きられないすべての者の上にあらわれますように。主イエス・キリストのみ名を通して、この祈りをみ前におささげします。アーメン。