神の御子をお迎えしよう

神の御子をお迎えしよう ルカ282025323638、マタイ2111

                              2022.12.25

(順序)

前奏、招詞:イザヤ91、讃詠:546、交読文:詩編85914、讃美歌:94、聖書:ルカ2:8~20、祈り、讃美歌98、聖書:ルカ225323638、讃美歌:111、説教、祈り、讃美歌:112、聖書:マタイ2111、(紙芝居「中村哲物語」)、讃美歌Ⅱ-56、信仰告白:日本キリスト教会信仰の告白、(聖餐式  

讃美歌:205)、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:544、祝福と派遣、後奏

 

 いま私たちはここでイエス・キリストのご降誕を記念するクリスマス礼拝を行っています。ただ聖書のどこにも、イエス様が1225日に生まれたとは書いてありません。イエス様の本当の誕生日はわからないのです。だからこの日はイエス様の誕生日というより、イエス様のご降誕を喜び祝う日だと考えて下さい。

 その頃、ローマ帝国には皇帝アウグストゥスが君臨していました。英語で8月のことをaugustと言いますが、この人の名前から来ています。それほど大きな権力を持った人物が全領土の住民に命令を出して住民登録を行わせました。ユダヤのガリラヤに住んでいたヨセフとマリアは住民登録をするためにエルサレム近郊のベツレヘムの町まで来て宿泊しようとしたところ、空いている部屋は馬小屋しかありませんでした。ヨセフとマリアが「ベツレヘムにいるうちに」(26)イエス様が誕生しました。それが宿泊したその日であったか何日かあとだったのかはわかりません。この一家のことを気にかけていた人はほとんどいなかったのですが、天の父なる神様が引き合わせてイエス様に会うことが出来た人々がいました。その人たちを順に紹介してゆきましょう。

 

 イエス様がお生まれになった時、ベツレヘムの近郊で羊飼いたちが羊の群れの番をしていました。ベツレヘムの町は静かでみんな休んでいるのですが、羊飼いたちはそうはいきません。みんな孤独をかみしめていたことでしょう。しかし、この人たちに救い主誕生の知らせがもたらされたのです。

「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」と書いてあります。羊飼いたちが恐れたのはいま自分たちが神様の前にいるということでありました。…しかし天使は「恐れるな」と、それどころか「今日あなたがたのために救い主がお生まれになった」と言うのです。天使の言葉が終わるやいなや、神を賛美する大合唱が始まりました、「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」。天使たちが去って再び静かになったとき、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合いました。そうしてベツレヘムの町に出かけ、飼い葉桶に寝かせてある幼な子を探しあてました。

羊飼いたちは、いま自分たちが見ていることがまさに天使の告げたことと全く同じであることを知って、その言葉を信じました。これこそ民全体に与えられた大きな喜び、幼な子こそ救い主なのです。すると、今度は喜びを押さえることが出来なくなりました。わきあがる喜びをどうしても人に伝えたくなったのです。彼らはその場所から出ると、こんなふうに、まわりの人たちに話していったのだと思います。「救い主がお生まれになったんだ。本当だよ。おれたちはこの目で見たんだ」。

イエス様は宮殿や立派な邸宅などではなく、馬小屋でお生まれになりました。しかも最初にお祝いにかけつけてきたのは身分の高い人でもお金持ちでもなく羊飼いでした。そこには深い意味があったのです。

 

私たちは羊飼いたちと共に東の国の学者たちのことを教えられていますが、聖書には学者たちが帰って行くと、ヨセフが夢のお告げによってエジプトに逃げていったと書いてあるので、シメオンとアンナの話は学者たちが来たあとではなく、その前にあった可能性が高いです。

ヨセフとマリアは「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき」、清めの期間とはレビ記12章によると男の子が生まれてから40日、だから40日が過ぎたとき、イエス様を連れてエルサレム神殿に行ったことになります。この時、シメオンとアンナという二人のお年寄りに迎えられました。神様は世界で最初のクリスマスのお話にお年寄りを登場させているのです。

この時、シメオンが“霊”に導かれて入ってきました。シメオンについて聖書は、「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」と言います。皆さんは、シメオンという人は何か近づきがたい、偉い人で、やはり祭司か何かだと思ってはいませんか。でも、聖書にそんなことは書いてありません。おそらく職業的な宗教家ではなく、皆さんと同じ一人の信仰者なのです。この人が、幼な子イエス様を腕に抱いて、祈りをささげました。「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

シメオンはこの時、その目で神様の救いを見たのです。彼は言います。「これは万民のために整えてくださった救い主、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れ」です。シメオンがこんな途方もないことを自分で考えたとは考えられません。聖霊が語らせたのです。神様の救いがユダヤ人という狭い民族の枠を超えて万民に及んだことで、ついに世界全体が救いに入れられることになったと証言したのです。その救いの中に日本人も入っています。

さらにもう一人の主役、アンナは「非常に年を取っていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた」と書いてあります。ただ84歳は84年と訳すことも出来ます。そうすると結婚をかりに15歳として、七年夫と一緒に暮らし、そのあと84年過ごしたことになり、15足す7足す84106歳になります。これだと非常に年を取っているということが納得出来ますね。

いずれにしても、「彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」のです。アンナは幼な子イエス様に出会い、今度は人々にイエス様のことを話しました。その話を人々がどのように受けとめたのかはわかりません。もしかしたら「また始まった」という反応しか返ってこなかったかもしれないのですが、アンナおばあさんはそうやって夜も昼も神に仕えていたのです。神様はこの人のことを決してお忘れになることはありません。

 

おそらく3番目にイエス様と会ったのが遠い東の国からかけつけた占星術の学者たちです。彼ら全員がユダヤ人にとっての異邦人、しかも本当の神様を知らない人たちでした。現代の都会とは違って夜、満点の星が輝いていた時代です。学者たちは新しい星が出現したのを見て驚きました。星占いによれば、それはユダヤに新しい王が生まれたことを示すものでした。

 学者たちは新しい王を拝むためにユダヤに向けて出発します。でも、外国に生まれた王様のことでなぜそこまでしなくてはならないのでしょう。学者たちはユダヤで生まれた方は歴史に名を残すような王となるだろう。もしかするとわれわれの国を征服しに来るかもしれない、だったらいちはやく挨拶をして、仲良くし、間違っても戦争など起こさせぬようにしようと、ずいぶん気の早い話ですがそういうことだったのです。決してイエス様を救い主だと信じて旅立ったのではありません。

 学者たちはユダヤの国に着くとまっすぐ都エルサレムに入りました。新しい王様の誕生で、エルサレムはわきたっているだろうと思っていたのです。ところがエルサレムは静まりかえっていました。学者たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と尋ねてまわり、その話はヘロデ王の耳にまで届きました。ヘロデ王は不安になり、新しい王が自分の権力をおびやかすかもしれないと考え、学者たちに、見つかったら知らせてくれ、自分も拝みに行くと言って送り出しました。ヘロデ王はイエス様を殺そうとしたのですが、そんな危険が迫る中、学者たちは星に導かれて、ついにイエス様に会うことが出来ました。ベツレヘムで、宮殿でも何でもないふつうの家で、新しい王であるイエス様に会うことが出来たのです。…そしてその時、この赤ちゃんが軍隊でもって世界を征服するような王ではなく、愛と正義でもって世界を治めなさる王であることを知り、喜びにふるえました。この方こそまことの神、世界の救い主、こうしてひれ伏してイエス様を拝んだのです。…学者たちはこの時、占星術を投げ捨てました。こうして、まことの神様を信じる人になって、自分の国に帰っていったのです。

 

 皆さんは何かとても嬉しい出来事があった時、まず誰に知らせますか。自分にとっていちばん大切な人でしょう。そうして一緒に喜んでもらうのです。

神様がなさることもそれとよく似ています。神様はみ子イエス様の誕生を、まずご自分にとってもっとも大切な人にお知らせしました。それが羊飼い、シメオンとレビ、占星術の学者だったのですが、そのことは神様がもっとも愛しているのが、汗水たらして働く人々、お年寄り、そして今だ本当の神様を知らない人たちだったということになりはしませんか。そこにはぜいたくな食事を食べ散らかして「もう食べられないよ」という人も、強大な力を握ってそれを悪いことばかりに使う人も入っていないのです。

 だから貧しくても、年を取っていても、まだ本当の神様を探しあぐねていたとしても良いのです。不思議な導きの向こうにイエス様が見えてきませんか。イエス様こそ天から来られた神の御子、この方こそ救い主であると信じ、これまでにも増して熱心に礼拝する人になって下さい。

 

(祈り)

天の父なる神様。今日のこの良き日を、全世界の教会と共に喜び、心からの感謝と賛美の思いをお捧げします。

神様、イエス様を危険きわまる地上に送り出したこには天においてたいへんな心の痛みがあったことと思います、しかし、それにもかかわらず、み使いたちは天に栄光、地に平和と歌って、喜びにわきたっていました。イエス様はこの先、苦難の中で十字架への道を歩まれることになりますが、それでもイエス様を地上に派遣されたことは神様にとってこの上ない喜びだったのですね。

闇の中を歩む民の上に大いなる光が輝き、救い主が誕生されました。民全体に与えられる大きな喜びの中にいま私たちもいます。

神様、どうかこの世界においでになったイエス様によって、私たち一人ひとりの人生を価値あるものとして下さい。神は我々と共におられる、インマヌエルということを、私たちが人生のもっとも大切なものとして育んでゆくことが出来ますように。

 

この祈りをとうとき主イエス・キリストのみ名によって、み前にお捧げいたします。アーメン。