裸の預言者

裸の預言者  イザヤ201~6、フィリピ1:1214  2022.7.31   

 

(順序)

前奏、招詞:詩編1212、讃詠:546、交読文:詩編85914、讃美歌:9、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:142、説教、祈り、讃美歌:276、信仰告白:使徒信条、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:540、祝福と派遣、後奏

 

 今日のお話、「裸の預言者」というタイトルなのですが、これを見ていったい何のこっちゃと思った方がいるはずです。私自身、もっと良いタイトルがないかと考えたのですが、これ以上のものが思いつきませんでした。イザヤ書20章がまさに裸の預言者のことを書いているからです。

 預言者イザヤが裸になったのは、なにも自分から望んでそうしたのではありません。主なる神の命令を受けてそうしたのです。この時、心に葛藤がなかったとは考えられません。しかし彼が裸になること、恥ずかしい姿をさらすこと自体が、神様からのメッセージだったのです。人々はそんなメッセージを見たくも聞きたくもなかったのですが、その目の前に突きつけたのです。イザヤ自身はそんなメッセージを発するよりは、人々に喜ばれる話をしたかったはずですが。

 

 イザヤよりずっと後の時代になりますが、パウロは愛弟子テモテに宛てた手紙でこのようなことを書いています。「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても。…だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。」(Ⅱテモテ4:2~4)

 ここでは健全な教えに対し作り話が対比されています。健全な教えは聞こうとする人が少ないのに対し、自分に都合の良いことばかり出て来る作り話の方が、集まる人が多いのです。健全な教えは、聞いていて耳に痛いことが出てくることがあります。これを視覚的にあらわしたのがイザヤが裸になったことだと言えましょう。では作り話と何か、多くの人が聞きたいと望んでいる話です。

 伝道者が御言葉を一生懸命語ろうとしても、それが受け入れられず、そこから離れて行こうとする人が出ることがあります。いつの時代にも起こることです。…そこには伝道者の方に問題があることがあります。例えば教理的に明らかに間違ったことを語るという場合です。牧師がかりにも、イエス・キリストが真の神であり、かつ真の人であることを否定するようなことを語ったら、教会はその人を追放しなければなりません。…しかし、これとは反対のケース、牧師が御言葉を正しく語っているにもかかわらず、聞く側の人たちが「そんな話は聞きたくない、つまらない、もっと楽しい話をして」というようになっていくことがよくあるのです。

 牧師であり、神学者であったカール・バルトという人は1916年、自分が勤めていたドイツの教会で「人々を満足させる牧師」というタイトルの礼拝説教をしました。その説教は激烈なもので、「あなたがたは、私が偽りの預言者であってくれればいいという願いを、懐いている」と。何てことを言うのかと思われた方がいるかもしれません。しばらく、バルトの語ったことを引用してみます。

 「キリスト教は、あなた方が手放すことを欲しない、生活の美しい飾りとして、好ましく重要なものである。」…信仰が「生活の美しい飾り」になってしまったと言うのです。

 「あなた方は、聖書を尊敬してはいる。しかし、あなた方の考えによれば、聖書が開かれると、そこには、カナンの地やダビデ王や救い主についての美しい物語や言葉が出現して来るはずなのである。すべてのことは、限りなく遠い昔に、ここから限りなく遠く離れたところで、語られたこと起こったことなので―そしてわれわれには根本的には何の関係もないことなので、人は、気持ちよく楽しく聖書に耳を傾けることができるし、その際内面的には穏やかに眠りつづけることができる」と。…聖書ははるか昔の出来事を語っていて、現代のあなた方の生活とは関係ない、だからみんな安心し、気持ちよくその話に耳を傾けることが出来る、というのです。

 礼拝でこんな話をしたら、これを聞いている人たちの神経を逆なでするだろうことは火を見るより明らかです。事実、この礼拝説教を聞いたあと。その教会から離れてしまった人がいたということです。

 バルトはなぜ、教会の成長にとってマイナスになる話をしたのでしょうか。…これを語った彼自身、人々の思いに応えようというサービス精神はあったのです。その場合、説教者と礼拝の出席者の間には平和があります。しかし彼は、「神の霊と不正な手段で獲得した財産の間には平和はない」と言い切ります。神を裏切ってまで人々に迎合することはすまい、ということなのです。

キリスト教信仰は、あってもなくても良いものではありません。生活の美しい飾りではないのです。また、聖書がはるか大昔のことを語っていても、それはそこで完結するものではなく、現代世界を照らしだしています。皆さん、このことに気づいて下さい。

 

 ということで、イザヤが置かれた状況についても、私たちが安楽椅子に寝そべって聞いていられるような話ではないことをご承知下さい。

 20章1節、「アッシリアの王サルゴンに派遣された将軍がアシュドドを襲った年のことである。彼はアシュドドと戦い、これを占領した。」

 アシュドドというのは聖書巻末の地図の4「統一王国時代」に出ています、ペリシテの地にあり地中海に面しています。アシュドドの陥落は紀元前711年に起こりました。

 アシュドドが陥落するまで、次のような歴史の動きがありました。イスラエル民族は北のイスラエルと南のユダ、二つの国に分裂していたのですが、北王国は722年に東から来るアッシリアによって滅ぼされてしまいました。当時、西アジアから北アフリカにかけての多くの国々がアッシリアの脅威の前におびえていたのです。しかし、715年にエチオピア、聖書ではクシュと言っていますが、その軍隊が北上してエジプト全土を制圧するということが起こりました。現在、地図をみるとエジプトの南にスーダン、南スーダン、エチオピアと出てきますが、これらを統一する大国が出現したようです。当時、パレスチナの諸国はアッシリアの王サルゴンの支配下にあって、朝貢を強いられていたので、西のエジプトに強大な国家が出現したことは朗報でした。この国に頼ればわれわれはアッシリアのくびきから解放されるという望みをいだいたのです。

 エジプトの後ろ盾を期待して、アッシリアに対する反乱の旗手として立ち上がったのがペリシテ人で、713年から711年にかけてその中心となったのがアシュドドです。アシュドドの王ヤマニという人は、アッシリアに対抗する軍事同盟をつくることに心を注ぎ、ペリシテ人をまとめあげただけでなく、エドム、モアブといった周辺の国を仲間に引き入れました。この軍事同盟にユダがどこまで関わっていたかはっきりしないのですが、裏でつながっていたことは確かだと思われます。

 アッシリアの方では当然、この軍事同盟をつぶしにかかります。大軍をさしむけてアシュドドなどに向かって行きますが、この時、エジプトはどうしたか、…大方の期待に反して全く動かなったのです。エジプトはアッシリアとの軍事衝突を望まなかったのです。アッシリア軍が迫って来た時、アシュドドの王ヤマニはエジプトに逃げ込みますが、エジプトの王はこの人を保護するどころか、手足を縛ってアッシリアに差し出してしまいました。ということでアッシリアに対する反乱は終わってしまったのです。

以上が711年に起こったアシュドド陥落の背後にある出来事で、イザヤに対する神の命令はそれに先立ってなされました。「腰から粗布を取り去り、足から履物を脱いで歩け」。その意味するところは3節、「わたしの僕イザヤが、エジプトとクシュに対するしるしと前兆として、裸、はだしで三年間歩き回ったように」ということにあります。イザヤは711年のアシュドド陥落以前、三年にわたって、かりに足かけ3年だとしても最低14か月、裸、はだしでユダの国中を歩きまわったのでしょう。神がそんなことを命じた目的は「エジプトとクシュに対するしるしと前兆として」でありました。

それから40年ほどたって669年にアッシリアはエジプトを占領、663年にはエチオピアの方まで占領することによって、西の大国は滅亡しました。「アッシリアの王は、エジプトの捕虜とクシュの捕囚を引いていく。若者も老人も、裸、はだしで、尻をあらわし、エジプトの恥をさらしつつ行く。彼らは自分たちの望みをかけていたクシュのゆえに、誇りとしていたエジプトのゆえに、恐れと恥をこうむるであろう。」という預言がその通り実現したのです。

 

それでは、神がイザヤに恥ずかしい恰好をさせることまでして示したかったのは何かが問われなければなりません。時をイザヤが神の命令を受けた時に巻き戻します。いくら神様の命令とはいえ、裸、はだしで歩き回るのは尋常なことではなく、イザヤが「そんなことは出来ません」と言ったとしても不思議はないのですが、神様にそむくわけにはいきません。イザヤは猛暑の夏も、酷寒の冬もこの格好で歩き回ったのです。これを見た人たちはあざ笑って、何でこんなことをするのかと聞いたでしょう。するとイザヤは「神は言われる。同盟なんて役に立たない。アッシリアの前にエジプトも敗北し、私のような恰好をさせられて連れてゆかれるのだ」と答えたはずです。

当時、ユダの国は超大国アッシリアの脅威の前に存亡の危機の中にありましたが、その中にあって人々は、王から庶民にいたるまでまことの神に頼ろうとしません。たとえ何が起ころうとも、まことの神のほかに救いはないはずですが。…人々は「アッシリアの軍事力、経済力にわれわれはとても太刀打ち出来ない。でもアッシリアの支配をくつがえしたいと思っている国がある、ペリシテ、エドム、モアブ、みんなそうじゃないか。そしていちばん頼りになるのが大国エジプトだ。なんとかうまく行くんじゃないか」と思っていたのです。

この国々とエジプトの間に何らかの取り決めが交わされていた可能性が十分にあります。しかしアッシリアがアシュドドに迫った時、エジプトはアッシリアに対抗する勢力の味方になって戦おうとはせず、彼らを見捨ててしまいました。ユダも危ないところでした。先ほど申したように、ユダがアシュドドを中心とする軍事同盟にどこまで関わっていたかはっきりしません。しかし私は、アシュドド陥落のあと、ユダはアッシリアに「われわれは軍事同盟に加わっていません」と必死に命乞いをし、ぎりぎりのところでおとがめなしだったのではないかと推測しています。ユダがこの同盟と裏でつながっていたことは確かでしょう。

711年のアシュドド陥落のあと669年にエジプト、663年にエチオピアが陥落しました。イザヤが裸になるまでして行ったパフォーマンスは、軍事同盟に頼っても無駄だ、お前たちが頼みとしているエジプトはいずれこんな姿になるのだと予告したことになりますが、そればかりではありません。まことの神に頼らず、軍事力や経済力の前にひれ伏しているお前たちだって、いずれこうなるのだという警告であったように思われます。…アッシリアの王がエジプトの捕虜とクシュの捕囚を引いていく時、それを見た海辺の住民は「見よ、アッシリアの王から救われようと助けを求めて逃げ、望みをかけていたものがこの有様なら、我々はどうして逃げ延びえようか」と言って嘆くのですが、この中にユダの人々もいたはずです。その後の歴史を見ると超大国アッシリアはバビロニアにとって代わられますが、この国は586年、ユダを征服し、住民はバビロンに連れてゆかれました。やはり、恥ずかしい姿であったでしょう。これもまことの神ではないものに望みをかけたところの当然の結果だったのです。

 

私は旧約聖書に書かれている、このような戦争の歴史から神が何を教えているのかを突きとめようと思っているのですが、まだまだ答えが見えて来ません。イザヤ書を深く掘り下げることでそれが見えてゆくことを、特に平和への道筋が見えてくることを強く願っています。

今日のお話でユダの人々がまことの神に頼らず、東の超大国の脅威に対抗するために、西の大国の力に頼ろうとしたものの、その国がいちばん大事な時に頼りにならなかったことを見てきました。こういうことについてイザヤ書30章1節は言います、「災いだ、背く子らは、と主は言われる。彼らは謀を立てるがわたしによるのではない。盟約の杯を交わすがわたしの霊によるのではない。こうして、罪に罪を重ねている」、この通りになってしまったのです。

2022年、いまの世界情勢も、超大国の覇権争いが続く中、日本はどの方向に向かって進んでいくべきかが摸索されています。現在、アメリカが世界一の超大国で日本はアメリカと同盟を結んでいますが、今後これを続けるとしても、日本がアメリカの軍事力や経済力の前にひれ伏すというのは間違いで、こうこういう理由でアメリカが正しいから一緒にやってゆくということがなくてはなりません。もちろんアメリカが間違いを犯せば、友人として警告すべきです。…もしもそういうことがないならば、かりにアメリカが没落したとしたら、日本は簡単にほかの国に乗り換えてしまうでしょう。…同じことは他の国々に対しても言えます。国は無節操であってはいけないのです。…そして、そのことはまた、私たち自身にとっても、自分が遭遇するあるゆる大きな力、政府、大会社、地域の有力者などに対しても言えることなのです。これらすべての上に神の導きがありますように。

教会に来ている時だけ神様が主であるのではありません。ここまでは神様に従うけど、ここから先は神様の領分でないからこの世にあわせるということではなく、あらゆることすべてにおいて神様が主であるという信仰に生きる者となりましょう。そのことによってイザヤを初め、神様のために恥と苦しみを耐え忍んだ人々に報いることが出来るのです。

 

(祈り)

救いの源である父なる神様。コロナ感染者がますます増大する中、長束教会でも礼拝を存続できるかどうか危ぶまれていますが、今日このようにして礼拝を行うことが出来たことを感謝申し上げます。み言葉はいつ、いかなる時も簡単に手に入れることが出来るわけではありません。聖書には「み言葉のききん」という言葉があります。私たちの長束教会をどうかみ言葉のききんに陥らせないで下さい。そうして、み言葉が私たちの右の耳から左の耳に抜けてゆくのではなく、これなしには生きることが出来ないほど、私たちの中心にあるものとして下さい。

神様、今日私たちはイザヤ書から、超大国の軍事力の前に翻弄される人々の話を見てきました。そこに書いてあることは、今も世界の現実です。しかし、私たちのこの日本の国は、幸いなことに戦後77年、戦争をしないで過ごしてきました。どうかこの平和を末永く続けることが出来ますように。超大国が覇権争いをしている中でも日本の国が正しく、賢くふるまい、平和な世界を実現するために世界をリードするほどの気概を示すことが出来ますように。この国が軍事力や経済力の前にひれ伏すのではなく、まことの神様から来る、信仰による平和を追求してゆくために、どうか国中の教会に神様の力と知恵から来る言葉を与えて下さい。

 

主の御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。