待ち望んだ瞬間

待ち望んだ瞬間  イザヤ52710、ルカ2:2138  2021.12.26

 

(順序)

前奏、招詞:詩編119146、讃詠:546、交読文:詩編43:3~5、讃美歌:11、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:Ⅱ—127、説教、祈り、讃美歌:121、信仰告白:使徒信条、(献金)、主の祈り、頌栄:543、祝福と派遣、後奏

 

今日が今年最後の礼拝となりました。広島長束教会では19日のクリスマス礼拝が主の恵みのうちに終わりました。世間ではクリスマスは終わった、さあお正月だとすっかり頭を切り替えてしまう人が多いのですが、しかし私たちにとってクリスマスはまだ終わってはいません。だから急いでクリスマスツリーなどを片付けることをしませんでした。クリスマスのお祝いは終わったのではなく、実に始まったばかりです。イエス・キリストはお生まれになりました。

 

今年、教会にも私たち一人ひとりにもいろいろなことがありました。新型コロナウィルスに振り回されたことが大きいのですが、そればかりではないでしょう。しかし、どんな一年をおくった人にも、もれなくクリスマスの恵みは与えられているのです。主イエス・キリストがお生まれになった、その慰めと、罪の赦しという光の中で、私たちはこの年を終え、新しい年に望みを託したいと思います。

 

生まれたばかりのイエス様を両親がつれてエルサレムの神殿に行ったとき、シメオンとアンナという二人の年取った信仰者に迎えられたというのが今日のお話です。…シメオンについては、老人だとはどこにも書いてない、若い人かもしれないという見方もあります。念願だった幼子イエス様に会うことが出来て、もう死んでも良いという意味のことを言っていますが、…若い人がこういうことを言うものでしょうか。…ここでは一般的な見方に従って、二人とも老人だとしてお話しいたします。

私はシメオンとアンナの話もクリスマス物語に含めるべきだと思っています。

…クリスマスページェントなどで、お生まれになったイエス様のもとを羊飼いたちと占星術の学者たちが訪ねてきます。イエス様がお生まれになったその晩、羊飼いたちがかけつけます、学者たちはそのあとでしょう。ただ羊飼いはおそらく青年か壮年、学者たちも遠い国からはるばる旅をしてくるだけの体力があったわけですから、これだとクリスマスが比較的若い、元気で働ける人たちだけのお祝いの日になりかねません。しかし神様はそこに老人を登場させました。シメオンにしてもアンナにしても、神様が神殿でイエス様と引き合わせ、対面するようにさせたのです。…クリスマスページェントなどで、羊飼いと学者に加えてシメオンとアンナも登場させることは現実には難しいでしょうが、二人の老人もクリスマスの恵みの中にいたと考えて良いでしょう。

 

イエス様がお生まれになったあと、まず「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」。イエスという名前の意味は「神は救いである」ということで、ヘブライ語ではヨシュアとなります。救い主にもっともふさわしい名前ですが、特別な名前ではなく、当時同じ名前の人がたくさんいたということです。

律法の規定によれば、母親は男の子を生んで40日間は、これを清めの期間として守らなければなりません(レビ12章)。今の言葉で言うと出産休暇で、その期間が終わったときエルサレムの神殿に行ったのです。「両親はその子を主に献げるために」と書いてありますが、これはこの子がすでに神のものであることを認めるということです。聖別するということです。この時の献げ物は本来なら小羊一匹が必要なのですが、「山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった」と書いてあります。貧しくて小羊を用意することが出来ない場合、山鳩一つがいか、家鳩の雛2羽を献げることが律法で認められており、(レビ12:8)これに従ったのです。

両親に抱かれて宮もうでをした幼な子イエス様がどんなに大切なお方かと言うことを、神殿で働いている祭司たちは誰も気がつきませんでした。しかしこの時、一人の人が境内に入ってきました。25節、「エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」。

皆さんは、シメオンという人は何か近づきがたい、偉い人で、やはり祭司か何かだと思ってはいませんか。でも、聖書をよくご覧下さい。この人は祭司でも何でもありません。おそらく職業的な宗教家ではなく、皆さんと同じ一人の信仰者なのです。この人が、幼な子イエス様を腕に抱き、神様をたたえて祈りをささげました。「主よ、今こそあなたは、お言葉通り、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」。

シメオンは「今こそあなたは、この僕を安らかに去らせてくださいます」と言います。これは「神様、私はもうここで死んでも満足です。この目であなたの救い、イエス様を見たからです」と言っているのと同じです。

人間にとって、どんなに年を取っても落ち着いて死を迎えるのは難しいことに違いありません。死に直面した人を苦しめるものに、病気の苦しみとか愛する家族との別れとかいろいろありますが、中でも「果たして自分の人生に意味があったのか」ということほど重要なことはありません。もしも死を前にして、自分の人生にはなんの意味もなかったとしか考えられなかったとしたら…、その人は自分がこの世に生まれた理由もわからず、生きる意味もわからず、時間切れになったからとしぶしぶ世を去っていくことしか出来ないのです。

しかし今、シメオンは、これとは正反対の人として登場します。彼はすでに「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」というお告げを受けていました。これは死ぬ前にメシアに会うことが出来るということでありまして、彼はその希望をいだいて老いの日々を生き生きと過ごしてきたのです。神の約束に絶対的な信頼を寄せながら生きてきて、今その実現を見ることが出来たのです。この人にとって、だから死は喜びだったのでしょう。

この時シメオンは、同じイエス様でも、ヨセフとマリアが見ている以上のことを見ていました。その目で神様の救いを見たのです。どういうことかと言いますと、第一に、神の独り子、まことの神であられる方が天から降って人間となった、それもユダヤ人、イスラエルの民の一員となって下さったということです。それまでずっとイスラエルの慰められるの待ち望んでいたシメオンにとって、これほど感謝すべきことはありません。

さらに22節に戻って「その子を主に献げるため」ということなんですが、出エジプト記1312節に「初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない」と書いてあることに基づいています。家畜でも人間でも最初に産まれたものを神にささげることで、神の祝福が次に生まれるものに及びます。幼子イエス様が神に献げられ、神のものとなったことに、シメオンは、この子を通して祝福がすべてのユダヤ人に及ぶことを見ています。しかも、それに留まりません。シメオンは言っています、「これは万民のために整えてくださった救い」、「異邦人を照らす啓示の光」、それゆえに「あなたの民イスラエルの誉れ」なのです。

シメオンがこんな途方もないことを自分で考えたとは考えられません。彼にこのように語らせたのは、聖霊の働きとしか言うことが出来ないでしょう。神様の救いがユダヤ人という狭い民族の枠を超えて異邦人に及んだことで、ついに世界全体が救いに入れられることになったのです。…シメオンは、神様からそのような世界の救いの歴史を示されたのです。

ひるがえって私たちはと見ると、シメオンがついに対面することが出来た救い主が礼拝において示されています。ですから、イエス様に出会い、この方を救い主と信じてなお、私たちが望みを持たないほかの人と同じになって、自分の人生にはなんの意味もなかったとしか思えないようであってはならないのです。

 

ところでシメオンは、幼な子イエス様に会って喜びの言葉を語ったすぐあと、それと正反対のような言葉を語っています。34節、「シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。『御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです』」。

そこではイエス・キリストが多くの人から反対され、母マリアが胸の張り裂けるような思いをしなければならないことが予告されています。イエス様が与えて下さる救いは、このようにたいへん大きな波紋を呼び起こすものでもあるのです。それはイエス様を前にして、人の心にある思いがはっきりあらわれるからです。この方を信じる人はどこまでも従ってゆきますが、反対する人はどこまでも反対します。そのために大変な事態が起こるのです。

私たちは、シメオンのその言葉が祝福の言葉であることに注意したいと思います。この子は将来偉くなりますよと言ったら親は喜ぶでしょうが、それが本当の祝福でしょうか。イエス様の場合、この方が真理そのものであり、この方を邪魔に思う多くの人から反対を受けるほど正しいということが両親への祝福の言葉でなければなりません。

イエス様のご生涯は、シメオンが予告したように悲劇的なものとなりました。しかしそれにもかかわらず、この方の誕生は世界にとっての祝福であり、ヨセフとマリアにとっても祝福となったのです。

 

さてもう一人の主役、アンナについてもくわしく語りたいのですが時間がなくなってしまいました。この人だけ取り上げても一回説教が出来るほど豊かな内容がつまっています。

ここでアンナがアシェル族だと書いてあるのは謎です。アシェル族はとうの昔に、イスラエルの失われた10部族の一つとして歴史から消えたはずなのに、どうしてここに出て来るのかという問題があるのですが、ここまでにしておきます。

アンナは「非常に年を取っていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた」と書いてあります。84歳というのは非常に年を取ったことになるのでしょうか。元気なお年寄りを見ているとそうは思えないのですが。実は「八十四歳」というところは「八十四年」と訳すことも出来ます。夫に死に別れ、84年やもめ暮らしをしているとなると、結婚した年齢をかりに15歳として、七年結婚生活をし、そのあと84年たっていますと、15足す7足す84106歳になります。これだと非常に年を取っているということで納得出来ますね。

いずれにしても、「彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」のです。お年寄りですから、いったん神殿の境内に入ったらどこにも動かないでお祈りしていたということなのかもしれません。

アンナが非常に年を取っていたということは、なんでも若いことを良しとするこの世の基準からははずれています。確かにどれだけの仕事をこなし、何を生み出すかという生産性を基準として考えるとアンナは明らかに失格です。しかし、神様はそれとは違うところから人間を見ておられます。

アンナは幼な子イエス様に会って、そのあと人々にイエス様のことを話したということですが、はっきりした声で理路整然と語れたかどうか、その話を人々がどのように受けとめたのかわかりません。百歳を越えていたかもしれないアンナおばあさんが話し始めた時、みんなが耳を傾けて聞いていたら良いのですが、もしかしたら「また始まった」、「口を開けば同じことばかり」という反応しか返ってこなかったかもしれないのです。

私はここで1954年に天に召された出雲今市教会の会員、石田ハルさんという人のことを思い出します。笹森修先生の回想によれば、この方は信仰を持ってから25年、人と会うたびに、信仰に入るようにと、道ばたであろうとどこであろうと、相手が判ろうと判るまいとただ一筋に説き明かしていたということです。…アンナにしてもこの人にしても一生懸命したことが目に見える結果を生んだのかどうかわかりませんが、それでも夜も昼も神に仕えていたということなのです。神様はこの人たちのことを覚えておられます。

 

今日の箇所から私たちは、信仰生活には終わりがないことが教えられます。年を重ねてゆくことは災いではないのです。体のあちこちが故障し、昔は出来たことがだんだん出来なくなっていっても、そこにクリスマスの光が注がれています。私たちもみな、この目で神様から与えられる救いを見ることが出来ますように。そうして生涯の最後まで神に仕え、信仰をまっとうすることが出来ますように。

 

(祈り)

神様。私たちはいまシメオンとアンナの人生にふれることが出来ました。この時の二人は、年を取っていましても輝きに満ちていたことでしょう。私たちの中には若い人もおりますが、みなそれぞれ、年ごとに老いゆく者たちです。どうか老いと死の向こうに光を見せて下さい。

シメオンとアンナはおそらく長い人生の終わり頃に、イエス様によって神様の救いを見ることが出来たのです。このイエス様を私たちがいたずらに探し求めることなく、教会の礼拝において見出すことが出来る、この恵みを私たち自身の最も大切なものとして守って行くことが出来ますように。

神様、いま私たちが生きる小さな社会から日本、そして世界まで、争いや難しい問題が山積していますが、天から地上に来られ、今も世界を支配しておられる主イエスの力の及ばないところはありません。今、なんの蓄えもなく年を越さなければならない人々や、今年も良い年ではなかったとしか思えない人々が大勢いることを覚えますが、誰もが過ぎ行く一年を見送り、希望を抱いて新しい年を迎えることが出来るように、神様の愛をこの世に輝かせて下さい。そのために私たちのすべきことも示して下さい。

 

私たち皆が、本当の平安のうちにこの年を終えることが出来ますように。今日の礼拝を感謝し、この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げいたします。アーメン。