慈しみとまことは互いに出会い

慈しみとまことは互いに出会い  詩編85914、エフェソ21418

                              2021.8.15

(順序)

前奏、招詞:詩編119120、讃詠:546、交読文:詩編43:3~5、讃美歌:28、聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:83、説教、祈り、讃美歌:312、信仰告白:使徒信条、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:541、祝福と派遣、後奏、報告

 

 今日は76回目の終戦記念日にあたります。この日のことを敗戦記念日と言う人もいますが、私は、あの戦争が最後の戦争であることを願って、終戦記念日と呼ばせて頂きます。

 

 第二次世界大戦が終わってからこのかた、日本は直接、戦争に巻き込まれることがなく今日まで過ごしてきました。コロナ禍がたいへんなことになっていますが、現在、日本は戦争しているわけではないので、いまの日本は平和であると考えている人は多いと思います。…ただ、このまま日本が平和でありつづけるとは限らず、多くの人々の心にあるのは漠然とした不安ではないでしょうか。時代がこの先どう進んでゆくのかよくわからず、もしかしたらこの国が戦争に巻き込まれるかもしれない、当面は大丈夫だけどその後はまったくわからない、というところではないかと思います。

 この日本をどうしたら良いのか、いろんな人がいろんなことを言っていて、憲法を守るか改正するか、軍備を増強して核武装までもっていくか、あるいは縮小して非武装を目指すかなど、激しい議論がかわされています。その中でどれが正しくてどれがそうでないのか、どれを信じたら良いのか、見極めるのはたいへん困難で、思考停止になっている人もいるでしょう。…しかし私たちは、日本の進むべき道についてどういう考えを持つにしても、神様がこの国を治めておられることを忘れてはなりません。当たり前のことに思えるかもしれませんが、ここがしっかりしていないと人は間違った方向に進んでしまうのです。

 

 今日は広島と長崎に落とされた原子爆弾について考えてゆきたいと思います。

 私は戦後生まれで戦争体験がありませんから、あの戦争がどんなものだったのか、人々がどんな思いで生き、そして死んでいったのか、いくら考えてもやはりわかりかねるところがあります。戦争を知らんやつが何を言うかと思われる部分がありましたら、おゆるし下さい。

 まず1945年8月6日、広島に投下された原爆についての証言から紹介します。

 シナリオライターの早坂暁さんという人は、原爆が投下された直後、8月20の夜、貨物列車に乗って広島に立ち寄りました。すると、何度か見たことのあった広島の街が「あきれるばかりの荒野」になっていたのです。「あれはなんだ……」、誰かが叫びました。見ると何百、何千もの小さな青い火が廃墟の中で燃えていました。何万という死体から流れ出た燐が燃えていたのです。みんな呆然として見ているばかり。そのうちに仲間の一人が泣き出しました。彼は広島の人で、燃えている青い火の一つが家族に見えたのでしょう。

 早坂さんは書いています。「あの悪夢のような光景は一度だって忘れたことはない。まぎれもなく、あれは地球の終末の光景であった。世界の臨終の景色であった」と(「夢千代日記」あとがき)。

 まさに世界の臨終と言うべきことが原爆投下で起こったことで、これまで広島も長崎も、原爆の被害がいかにすさまじいものであったかを語ってきました。それはもちろんたいへん深い意味のあることですが、近年、広島については、ここが軍都であったことから、戦争への加害責任についても踏み込んで語るようになってきました。広島も長崎も、核兵器廃絶を世界に向けて語っていく使命を与えられた町で、これがさらに大きな声となって広がってゆきますように。

 かりに広島・長崎に続いて三たび核兵器が使われることがあるとしたら、それこそこの世の終わりを意味することになるでしょう。それが全面核戦争でなかったとしても、人類がこれまで幾千年にわたってつくりあげてきたもの、科学技術も社会のしくみも、人間と人間を結びつける愛も信頼も、すべて灰にしてしまうことは明らかです。だから一発の核兵器も使わせてはならないのですが、国家の指導者などが核兵器を使いたいという誘惑にかられたことはこれまで幾度もあったでしょう。それを今日まで押しとどめてきたのは神の見えざる手です。神は平和を願う世界の人々の良心を呼び起こし、それを力に変えて下さるのです。

  

 それでは、キリスト者は原爆投下についてどのように発言してきたのか、一つの例をお話ししますが、なかなか答えが出ない問題なので、みんなで考えてみて下さい。

島根県の雲南市に永井隆博士の記念館があります。永井隆は1908年生まれのカトリックの信者です。自分自身長崎の原爆で被爆しながら、原爆被害者の治療のために力を尽くすと共に平和の尊さを説きつづけ、1951年に43歳の若さで亡くなりました。

原爆は長崎市の浦上にあるカトリック教会のま上で炸裂しています。永井隆はこのように書きました。「世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やされるべき潔きこひつじとして選ばれたのではないでしょうか?……これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しとして容れ給わなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け容れ給い、人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。……戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかったわが浦上教会こそ、神の祭壇に献げられるべき唯一の潔きこひつじではなかったでしょうか。このこひつじの犠牲によって、今後更に戦禍を蒙る筈であった幾千万の人々が救われたのであります。……主与え給い、主取り給う。主の御名は讃美せられよかし。浦上が選ばれて燔祭に供えられたる事を感謝致します」(「長崎の鐘」)。

皆さんはこの考えをどう思われますか。永井隆が説いたことはよく“祈りの平和”と呼ばれます。原爆は人類の罪のための犠牲であり、人々の死によって平和が到来したという考えは日本人に大きな影響を与えました。しかし永井隆の在世中からこれに反対する意見も多く、映画「長崎の鐘」の中でも、そんなことあるものかという人が登場しています。

 その後、永井隆は批判にさらされます。例えば同じカトリック信者の井上ひさしは、「永井説によればアメリカの原爆投下を正義の行いであったと強弁でき」、「神の摂理をもちだせば人間世界から責任者を出さずにすむわけだ。為政者にとってこんな都合のいい話はない」と書きます。

 すると、これらに対する反論が出ました。永井隆が言われたことは、「原爆死没者を冒瀆することにもなりかねない『原爆天罰論』を排する目的で信徒に向けられた信仰上の発言である」から「政治的文脈にからめて論ずるべきではない」と。原爆で殺されたのは天罰だとする心ない人々から信徒を守って、激まし、教会を再建するためにはあのように言うしかなかったのだ、ということです。

 このように、議論がかみあわないままだったのですが、カトリック教会では1981年に教皇ヨハネ・パウロ2世が来日して「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。」と演説したことも契機となって、永井博士を尊重しながらも、原爆は神のしわざではなく、人間のしわざで起こったのだから、二度と繰り返してはいけないと声を上げるべきだ、という方向になってきているようです。カトリック長崎大司教も「永井博士は神の摂理を説いて米国をゆるそうとしたかもしれないが、原爆投下は正当化できない。償いは終わっていない」と語っています。

 私はこの論争を通し、誰が原爆投下の責任を負うのかということが浮き上がってきているように思います。これは人類全体の罪なのか、アメリカなのか、日本に責任はないのかということですね。それと共に、かりに三回目の核兵器の使用があれば被爆者の死は無駄になってしまうので、これを絶対に許してはいけないということです。永井隆が言ったことも無下に斥けるわけにはいきません。

 原爆投下についてキリスト者がどう発言してきたか、ということで材料を提供しました。皆さんもぜひ考えてみて下さい。


 戦争と平和の問題の難しさというのは、誰もが平和を望んでいながら、実際には何より大切な信仰をわきにおいて考えたり、自分に得があるか損になるかを第一にして間違った判断をしてしまうことにあります。しかし、この問題においてこそ、神のみこころがどこにあるのかを問い続けてゆかなければなりません。

 聖書は何と言っていますか。詩編85篇9節:「わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます」。

この詩は、かつてイスラエルの人々が体験した祖国の滅亡という悲劇が背景にあります。大国バビロニアのために国は滅び、信仰の中心であった神殿も破壊され、人々は捕虜として異国に連れてゆかれました。それは言葉では言い尽くせない悲惨な体験でありました。…しかし忍耐の期間は過ぎました。人々は祖国に戻ってくることが出来ました。けれどもそこで見たのは、荒れ果てたふるさとと自分たちに敵意を持っている住民たちで、そこには一触即発の危機があったのです。人々は信仰の中心である神殿を再建しようとしましたが、ありとあらゆる障害を克服しなければなりませんでした。そんな時に神は平和を宣言されたのです。

ここで「慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし」という言葉が注目されます。だいたい、正義と平和は両立するものでしょうか。

これまで世界で起きた戦争のほとんどは、正義を掲げて行われました。どんな国も正義を口実にして戦争を始めるのです。平和、平和と言っていたら何も出来ない、命を犠牲にしてもやりとげなければならない正義がある、そんな威勢の良い声に押されてしまういのです。正義と戦争はたいへん結びつきやすいのです、なぜそこに平和が入ってくるのでしょうか。

また戦争をもってこなくても、人と人とのいさかいは、ある人の正義と他の人の正義がぶつかることから始まります。子ども同士のいじめも、会社同士の競争もみんなそうです。

では、正義はだめだから平和であれば良いのかということにもなりますが、そうも言えません。表面上は静かで戦争が起こっていなかったとしても、強い立場にある国や人々が弱い立場にある国や人々を踏みつけ、踏みつけられた側が屈辱に耐えながら歯をくいしばって我慢しているような場合、それを平和であり、良しとすることは出来ません。
 
また「慈しみとまこと」は旧約聖書によく出て来る言葉ですが、これも実際の生活の中で両立させることは簡単ではありません。早い話、慈しみ深く、やさしくしていれば、された方がわがままになってしまうことがありますし、まことを通すことで慈しみに欠けてしまうこともあるでしょう。

世界が、そして私たちが、日々、慈しみとまこと、正義と平和の間で問われ続けています。自分の正義をふりかざし、他を犠牲にすることで平和を達成できるのか。あるいは純粋に平和を追求することで、より大きな力に粉砕されてしまわないか。それとも、そういうことに一切タッチしないで逃げ場所に隠れていればいいのか、と。

けれども詩篇の詩人は、もう一つの道を見出しています。それが、神にその実現を委ね、求める、という道です。「正義は天から注がれる」と。私たち人間の正義ではなく、天からの正義です。12節、13節の「まことは地から萌えいで」とか「わたしたちの地は実りをもたらします」は、天からの正義によって真の平和が勝ち取られること、慈しみとまことが一致することを言っていると受けとって良いのです。

この詩編が歌われたあと、祖国に戻ったユダヤ人は周囲の諸民族とのあつれきなどすべてを克服して、神殿を再建します。慈しみとまこと、正義と平和が一致したのです。…このことを現代世界の中で追求することは、やはり難しいことで、それをやろうとする時、多くの失敗を覚悟しなければならないでしょう。しかし、そこに神のお支えと導きがあることを見失ってはなりません。

 

人類の頭上に二度、原爆が投下されたことの意味を説き明かすのは困難ですが、しかし今日まで、同じことは起こってはいません。正義と平和の神が心ある人々の声を大きな束にまとめて、核兵器の三度目の使用を押しとどめているのです。そこに神様のみこころが現れています。

人間に慈しみとまことを出会わせる力がないこと、完全な正義と平和を両立させる力はないことを認め、神にそれを求め委ねること、それは決してあきらめでも責任放棄でもありません。主なる神が平和を宣言なさいます。人間は自分の力に寄り頼むことをやめることで平和を実現し、そこに神の栄光が輝くのです。…いま平和記念公園で燃えている火は、世界から核兵器がなくなる日まで燃え続けるということですが、神様がその日をもたらして下さることを信じて、待ち望みたいと思います。

 

(祈り)

 平和の主である神様。

大昔から今まで、人類の歴史の中で戦争がやむことはありませんでした。自分から不幸を追い求め、滅びへの道に突き進んでゆく人間たちをどうか憐れんで下さい。神様に見離されたら、人間の社会は崩壊するほかないからです。

神様、私たちを憐れんで下さい。いま、私たちはいっけん平和な社会の中で礼拝を中心とする毎日を送り、社会の中でもよき市民として認められていると思います。しかし、もしも戦争の嵐が襲ってきたら、それでも信仰を守りぬくことが出来るでしょうか。私たちが神様のものであり続けるためにも、どうかこの国に戦争という試みを負わさないで下さい。また戦争を呼び込もうとする悪魔的な力に出会っても、神様の勝利を信じ、神様の真実でもって抵抗する知恵と力を与えて下さい。

 

平和を愛する神様がたたえられますように。この祈りを主イエス・キリストのみ名によってお捧げします。アーメン。