平和の君の誕生

平和の君の誕生  イザヤ823b96、エフェソ21417 2021.6.27

 

招詞:詩編119109、讃詠:546、交読文:Ⅰヨハネ4712、讃美歌:7、

聖書朗読:上記、祈り、讃美歌:80、説教、祈り、讃美歌:420、信仰告白:使徒信条、(献金・感謝)、主の祈り、頌栄:540、祝福と派遣

 

 今日与えられた預言の言葉は、紀元前8世紀の昔、預言者イザヤを通して与えられた神の言葉です。この言葉が与えられた当時、神の民イスラエルはどん底に近い状態で、ほとんど誰もが、自分たちはこのまま下へ、下へと落ちて行くしかないと思っていたことでしょう。その後、その悪い予測に近い形で歴史が展開していくことが聖書に書いてありますから、平和な暮らしを願う人々の思いも、けんめいな努力もむなしく、みんな歴史の荒波の中に飲みこまれていったように見えなくもありません。…しかし、そんな時代の中で、闇の中を歩む民が光を見ること、それはひとりの男の子の誕生であると約束されたことは、決して小さなことではありません。途方もないこと、人間が想像も出来ないようなことが始まったのです。

この時、人々に示された光は人間から出て来たものでも、人間が作り上げたものでもありません。ほかならぬ神から与えられたものです。それも神様が片手間でなさったことではありません。これは全人類を救おうとなさる神のみこころによって計画され、神がその全存在をかけて行われたことであったのです。今日はその中から、平和の君ということに焦点を当てて、考えてゆきたいと思います。

 

これまでお話ししてきた通り、この時代のイスラエルの民が生きていたのは戦乱の時代です。一つの民族が南のユダ王国と北のイスラエル王国に別れて争っていたのですが、さらに北から超大国アッシリアの脅威が迫ってきていました。

北のイスラエル王国とシリアが手を結んで、南のユダ王国に攻めてきた時、ユダ王国はアッシリアに助けを乞うという禁じ手を使って当面の危機を切り抜けました。アッシリアはシリアを滅ぼし、次いでイスラエル王国の首都サマリアを3年間包囲したのち、これを滅ぼしました。それが紀元前722年、ユダの人々にとって当面の脅威はなくなりました。しかし同じ民族が作った国が滅びたことがもたらした衝撃は計り知れません。

ユダ王国はアッシリアにすりよった結果、アッシリアに多額の貢ぎ物を納めなければならなくなりましたが、そればかりでなく、アッシリアの神々を拝むことにもなってしまいました。しかもアッシリアは、今度は、ユダ王国ものみこもうとしていたのです。こうした絶望的な状況の中、人々は口寄せや霊媒を通して死者が語ってくれるという言葉を求め、まことの神の言葉である聖書をかえりみなくなっていました。このような人々について、イザヤ書8章21節以下にこう書かれています。「この地で、彼らは苦しみ、飢えてさまよう。民は飢えて憤り、顔を天に向けて王と神を呪う。地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放、今、危機の中にある人々には逃れるすべがない。」

ここから今日の箇所に入ります。「先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが」。聖書巻末の地図で「4 統一王国時代」を開くと、北の方にゼブルンの地とナフタリの地が出てきます。ゼブルンもナフタリもイスラエル12部族に属し、その地を本拠地にしていましたが、そこが辱めを受けたというのはアッシリアの軍隊が入ったということですね。アッシリアの強大な軍隊が入ってきたために、人々が殺され、家畜や食糧などが略奪され、さらに家を燃やされるなど言うに言われぬことがたくさんあったはずです。ゼブルンの地、ナフタリの地がのちにガリラヤと呼ばれるようになりますが、これと海沿いの道、ヨルダン川のかなたがみなアッシリアの軍隊によって蹂躙され、アッシリアによって奪われました。しかし神はこれらの地域が栄光を受けると言われるのです。

紀元前8世紀のアッシリアによる侵略は、その後もその地に消し難い傷跡を残しました。イエス様の時代のパレスチナについて、皆さんは大まかに言って、南から北にユダヤ、サマリア、ガリラヤというふうに覚えておられると思います。ユダヤは都エルサレムを擁し、ユダヤ人が住んでいましたが、ユダヤ人と北のサマリア人は犬猿の仲でした。それは、かつてアッシリアに攻められた結果、その地でもともとのイスラエルの民と外から来たアッシリア人が混じり合い、混血の民族サマリア人が出来上がったからです。ユダヤ人から見ると、サマリア人は先祖は同じでも、お前たちは外国人の血が混じっているからわれわれの仲間とは認めない、ということだったのです。

ガリラヤの人々の祖先もやはりアッシリアに痛めつけられたのですが、サマリア人とは違って、外国人との混血民族ではないようです。とはいえ中央から遠く隔たっている僻地で、貧乏で文化程度も低く、言葉になまりがあることもあって馬鹿にされていました。ガリラヤの人々の祖先も預言者イザヤの時代、やはり本当の神様から離れ、口寄せや霊媒が語る死者の言葉に耳を傾けていたはずです。だから「死の陰の地に住む者」と言われたわけですが、そこに「光が輝いた」、これはイザヤの時代から700年以上あとに歴史の事実となった、イエス・キリストのご到来にほかなりません。

 

イエス様がこの世においでになったことの意義は計り知れないものがあります。そのことを5節は「権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」とまとめていますが、今日はこれを全部説き明かすことが出来ないので、「平和の君」にしぼってお話しします。

イエス様が誕生されたのはエルサレム近郊のベツレヘムですが、お育ちになったのはガリラヤのナザレです。2節からずっと書いてあるように、ガリラヤにイエス様という光が輝いたことは、人々に深い喜びと大きな楽しみを与えるものでありました。

「人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように。戦利品を分け合って楽しむように」。現代では農家が減って、刈り入れの時を祝うことがなかなかできなくなってしまいましたが、どうか想像してみて下さい。また、戦争が終わった時の喜びも想像してみて下さい。

「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように折ってくださった。」、彼らとは「死の陰の地に住む者」です。その人たちの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭、(…軛、杖、鞭、わからない人はいますか)、要するに人々をしばりつけているものを「あなたはミディアンの日のように折ってくださった」、ミディアンとは昔、イスラエルの民を脅かしていた民族です。ミディアンの日というのは神様がイスラエルのために敵と戦って下さる日のことです(士師記6~7章)。

そうしたことの結果、どうなるか、「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた」。…初めてこれを聞いた人たちはどぎもを抜かれたのではないでしょうか。戦乱が尽きない世の中、力こそが正義だとしか思えない時代がえんえんと続いていたのですが、その世界の中に平和のメッセージが与えられたのです。神はここで戦争がなくなることを宣言なさいました。

それでは、どのようにして戦争がなくなるのでしょう。それは「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」ことによってです。

イエス・キリストはまず赤ちゃんとして、子どもとして世に現れました。大人の、それも男性とは違って、何とも弱々しい存在です。幼児は権力というものを持たず、まるで無防備で、無邪気な存在ですが、そこから戦争ではなく平和が輝き出るのです。その名前、平和の君というのは、英語ではプリンス・オブ・ピース。ピースの元となった言葉はへブル語のシャロームです。…平和の君という言葉が示しているのが、この方が戦争を滅ぼし、平和を打ち立てることであるのは間違いありません。このことは人類全体にとってたいへんな問題であり、課題ですが、ただ、ここで言う平和は、単に戦争がなければそれで良いというものではありません。たとえ戦争をしていなくても、人と人との間がばらばらで敵意と無関心ばかりということもあるのですから。神が人間の前に差し示され、人が求めて行くべきことは、神との平和、人と人との間の平和、そして人と自然の間の平和です。人間は神様に背き、神様との間で争いを繰り返してきました。人間と神様の間に平和がないから、人と人との間で争いが絶えないのです。さらに人間が自然を痛めつけたり、逆に新型コロナウィルスのように自然が人間に襲いかかってくることも起こるのです。神と人間の間の壊れてしまた絆を再びつなぐために、イエス様がこの世においでになり、十字架の死を引き受けてまで、神が人と共にある、インマヌエルということを示して下さいました。

ですから戦争を滅ぼし、平和な世界を築くためにも、平和の君イエス・キリストを見上げることがなくてはなりません。イエス様は戦争のない平和な世界をつくられます。……しかしながら、私がこのように言うと、それは空想であって現実とは違うと言う人がいるかもしれません。イザヤの時代はもとより、現代でも戦争は絶えないからです。そして有史以来、戦争を根絶して平和な世界をつくろうとする試みは最終的な勝利を収めていません。イエス様が平和の君だということは、まことに厳しい歴史の現実の中で考えて行かなければならないのです。

 

私は30年ほど前、聖地旅行をして驚いたことがありました。エルサレムに昔の神殿の跡が残っていて嘆きの壁と言われています。多くのユダヤ人が黒づくめの服を着て集まっています。それは紀元70年に起こった神殿崩壊を悲しみ、喪に服しているからなのですが、その隣にイスラム教のモスクが建っていて、岩のドームと呼ばれています。これは一体どうしたことでしょうか。

そこはもともとモリヤの地と呼ばれ、昔アブラハムが息子イサクを捧げたところです。その場所にソロモン王が神殿を建て、イエス様の時代にもヘロデ王による壮麗な神殿が建っていたのです。しかし紀元70年にこの神殿は崩壊、そのあと7世紀になって、ムハンマドがこの神殿跡地から天に昇ったという話があり、モスクが建てられたのです。

ユダヤ教徒にとっては、この聖なる地に新しく神殿を建てるのが悲願です。しかし、それをしようとするとモスクを壊さなければなりません。かりにそんなことをしようとすれば、ユダヤ教徒は全イスラム教徒を相手に戦争をしなければならなくなり、その影響ははかりしれません。そのため、さすがのイスラエル政府もモスクの破壊を許可しません。だからユダヤ教徒はいつまでも嘆きの壁の前で嘆いていなければならないのです。

今年の5月、パレスチナ・ガザ地区を巡って軍事衝突が起き、いったん停戦したものの、最近また軍事衝突が起きました。その発端となったのが6月15日にユダヤ人の中でも極右とされる人たちが行ったエルサレムでのデモです。この人たちが、モスクが建っているところもみんなイスラエルのものだと叫んだことで、抗議するアラブ人との間に衝突が起きたようです。

エルサレムをめぐるこうした問題はこじれにこじれて、解決の糸口がまるで見えないのですが、こうした中、アメリカのキリスト教徒の一部などに、イスラエルの国を守り、ユダヤ人を支えることが神のみこころにかなうことだと信じて、行動している人たちがいます。私は、これを進めていくと、ユダヤ教徒とキリスト教徒に対しイスラム教徒が戦うという世界戦争が引き起こされる可能性もあると思ってたいへん憂慮しています。もしかしたら世界戦争のあと、真に平和な世界が出来上がるのかもしれませんが、キリスト者は軍事力によって平和を実現する道を選択すべきなのでしょうか。

話は変わりますが、先週の金曜日に、ズームによるミャンマーのために祈る会が開かれ、私も参加して、この国の容易ならぬ状況を知ることになりました。2月のクーデターのあと、非暴力による抗議活動に対し、軍は銃でもって応じたために多数の犠牲者が出ていますが、最近では、軍に反対する人々の中で、銃を取って立ち上がろうとする人が出てきました。これは非暴力では意味がない、いざとなったら銃を取って人を殺さなければならないということなのでしょうか。ミャンマーの人々はいま究極の問いの前に立たされています。

 

現代のこうした困難きわまる問題を考える時、聖書は何を教えてくれているでしょうか。そこで皆さん、イエス・キリストがエルサレムに入城する時、ろばの子にまたがって来られたことを思い出して下さい。なぜろばの子なのでしょう。イエス様なら馬に乗って来る方がずっとふさわしいと思いませんか。現代でもこういう場合は派手な演出がされるのが常で、一国の最高指導者がろばの子に乗って来るというのは聞いたことがありません。失礼ながらいささか滑稽なお姿、しかし、そこにこそイエス様の真骨頂があるのです。

エレサレムの都が古来、戦乱にまみれた都であり、これからもそうなるだろうことをイエス様がご存じないはずはありません。それでもイエス様は、馬にまたがることも戦車の上に立つこともせず、ろばの子にまたがって平和をその全身でもって現わされました。ですから、現在のまことに厳しい状況の中にあってもエルサレムから、すなわち主イエスのおられるところから平和を世界に発信することが出来るのではないか、そう考えることは意味のないことではありません。イエス様は軍事力に訴えたり、自分と違う信仰を全面否定して異教徒とみなした人の人間としての尊厳を奪ってしまうことをよしとされるでしょうか。究極的には、私たちが自ら銃を取ることとイエス様を信じることは両立するのか、しないのか、簡単に答えが出ることではありませんが、一人ひとりが祈りつつ考えていくことが出来ますように、と願います。

 

(祈り)

主イエス・キリストの父なる神様。

平和の君イエス・キリストが打ち立てて下さった平和の中に、私たちをしっかり立たせて下さい。それも今、この社会の厳しい現実の中で、お願いいたします。私たちの中に、イエス様の教えを建前としてだけ受け取ろうとする心があります。建前としてはそれを尊重します。しかし、現実はこれとは違うと割り切って、イエス様の教えの中で自分の気にいったところだけ、つまみ食いしているのです。

神様、日本はいま一応、平和を保っていますが、これがいつまで続くのかはわかりません。かりに時代が戦争へと向かっていけば、平和を願うありきたりの言葉を口に出しても、まわりから強く非難されることになるでしょう。しかし、どんな時代の中でも、本当の信仰から来る言葉と行いが、闇の中の光として輝き、時代を前に進めてゆくことが、聖書とキリスト教2000年の歴史の中で示されています。どうか、私たちをそのような信仰に立たせて下さい。

神様、私たちの教会をお守り下さい。最近、信仰の相違からこの教会を離れた姉妹をどうか顧みて下さい。

 

とうとき主イエスの御名によって、この祈りをお捧げします。アーメン。