心を合わせて祈る群れ

                               詩編6525、使徒1:614       2021.5.23

 

 今日はペンテコステの日です。本来なら、大人も子どももみな一緒に家族礼拝をする日ですが、対面での礼拝が出来ません。今、それぞれの場所で長束教会とつながり、聖書を読み、祈っている人々と主にあって、心を合わせ、思いを一つにすることが出来ますように。

 

 イエス・キリストの死と復活からお話を始めます。イエス様が十字架につけられて殺されたことは、この方を信じ、従っていった人たちすべてにとって、生きる望みを打ち砕くに等しいことでありました。しかし、神はイエス様を復活させるという歴史上、前代未聞、空前絶後のことをなさいました。イエス様は40日にわたって人々の前に現れ、ついに天に帰られました。昇天されたのです。

 使徒言行録1章9節に「イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた」と書いてあります(使19)。そこには二つの意義があります。一つは地上に残された人たちが聖霊を受け取ることが出来るようになるということです。1章8節で主イエスはこう語っておられます。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。誰もが聖霊を受けることが出来るようになるため、主イエスは天に昇られたのです。

それでは、聖霊はいったいどこから発せられるのでしょうか。主イエスは「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊」ということをヨハネ福音書1426節で語っておられます。「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊」、そこで言われていることは、主イエスが父なる神様と一緒に、いわば共同作業で、聖霊を送られるということです。

 聖霊についていろんなことが教えられていますが、私たちは昔から論争があった大事なことをまず把握しておきましょう。それは、聖霊は父なる神とイエス・キリストから来るということです。イエス様を抜きにして、聖霊が与えられるということはありません。

世界にはいま、聖霊の働きを私たちの日本キリスト教会以上に重んじる教会があって、日本にもあるのですが、その中で、神秘的な雰囲気がただよい、礼拝の中で意味のわからない言葉をつぶやいたり、参加者が神がかり状態になったりするところがあります。聖霊によって酔っぱらったような感じになるのですが、そういう教会はイエス様が脇に追いやられてしまうことが多いのです。

私たちの教会はあくまでも聖霊を重んじつつ、中心にイエス様を掲げることで、そのような行き過ぎに陥らないよう注意しています。

 主イエスが昇天されたことの第二の理由は、そこで主が再び来られることが約束されたことにあります。これを再臨と言います。1章11節に、白い服を着た二人の天使の言葉がありますね。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。

 もしも主イエスが姿を消されたままだったとしたら、人は、この方は本当にいなくなってしまったと思うでしょう。しかし、ここに再臨が約束されました。このことが起こるのは聖霊が降ったはるかあとのこと、2021年の今から見ても将来のことでありまして、いつになるのかわかりませんが、イエス様は再び帰って来られます。ですから、イエス様は消えてしまったというのではなく、いつイエス様が来られてもいいように、ふだんから準備をしているのが、イエス様を信じる者の生き方にならねばなりません。

 

では次に、主イエスが昇天された直後、人々はどうしていたかということに入ります。イエス様の方で、人が神様を信じて救われるために必要なことはすべて行って下さいました。これに応えて、人間の側がしていたこと、それが「心を合わせて熱心に祈っていた」ということなのです。これについて順を追ってお話ししましょう。

 主イエスが昇天されたのは、「オリーブ畑」と呼ばれる山です。ふつうオリブ山と呼ばれています。この山はエルサレムの都から900メートルほどの距離にありました。使徒たち、これはイエス様の弟子たちに与えられた新たな呼び名ですが、イエス様の昇天を見届けたあと、オリブ山からエルサレムに、喜びと希望にあふれて帰って来ました。そうして泊まっていた家の上の部屋に入りました。そこは最後の晩餐が行われた場所だったかもしれないと考えられています。

 その場所に集まってきた人たちは使徒たちばかりではありません。婦人たちも、イエス様の親族も一緒でした。それぞれについて述べて行きましょう。

 第一のグループが使徒たちです。それがペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダです。何人いますか。イエス様には12弟子がいましたが、イスカリオテのユダがイエス様を裏切って脱落したので11人となりました。ここから何が読み取れるでしょう。

 よく考えてみると、ここで11人の名前が掲げられているというのはなかなか不思議なことなのです。なぜかというと、この11人はイエス様の弟子だったのに、イエス様がいちばん大変な時に卑怯にも逃げ出してしまっていたからです。復活したイエス様から「お前たちのことなんか知らん、出ていけ」と言われてもしかたがなかった人たちなのですが、イエス様はこのふがいない11人を赦して、使徒として立たせて下さいました。みんな一度は罪の中で死んだ者たちです。しかし、キリストのみ旗の下にもう一度集められて、再出発することが出来ました。そのことを聖書の読者が知ることが出来るように、一人ひとりの名前があげられているのです。

そこにいる第二のグループが婦人たちです。これは女たちとも、妻たちとも訳すことが出来ます。かつてイエス様が伝道旅行をされていた時に、つき従っていた女性がいましたが、彼女たちのことでしょう。ルカ福音書8章によりますと、それはマグダラのマリア、ヨハナ、スサンナ、そのほか多くの婦人たちだということです。さらに、そこには使徒たちの奥さんが入っていた可能性があります。女の人たちは男の使徒たちよりも勇気があり、イエス様の十字架の死を最後まで見届けました。復活を最初に告知されたのも彼女たちでありました。永遠に生きておられるイエス様の前で女性たちも使徒たちと同じく、キリストの復活の証人となるのです。

 なお、イエス様の母マリアが聖書に出て来るのはここが最後です。カトリック教会は、マリアはそのあと、死を味わうことなく昇天したと教えていますが、そんなことは聖書のどこにも書いてありません。

 第三のグループがイエス様の兄弟たちです。イエス様にはヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモンという4人の弟があり、さらに妹たちもいました(マタイ135556)。この人たちはもともと、自分たちの兄であって、一緒に育ったイエス様が、神の子であり、救い主であることを信じていませんでした(ヨハネ7:5など)。しかし、いま彼らは信じる人になったのです。どこに転機があったのでしょう。十字架と復活以外には考えられません。

信仰を持っている人なら誰しも、自分の肉親が同じ信仰に入ることを願わないはずがありません。イエス様ならなおさらだったでしょう。…イエス様の弟ヤコブは、こののち教会の有力な指導者になっていきます。ただ、それはイエス様の弟だということで特別待遇を受けたということではないでしょう。キリスト教では誰それの血筋だということを重視しません。もしもそうなら、今でもイエス様の兄弟の血筋が尊ばれるはずですが、イエス様の弟の子孫が残っているのかどうか、そうした情報は全く伝わっていないのです。

 

 これら三つのグループからなる一団は、心を合わせて熱心に祈っていました。

1章15節には「百二十人ほどの人々が一つになっていた」と書いてありますから、だんだん人数が増えて行ったのでしょう。それだけの人が一つの部屋に集まっていたのです。この時は三密になっても大丈夫だったんですね。

心を合わせて熱心に祈るというのは、当たり前のことではありません。使徒たちであっても、以前は失礼ながらいい加減なところがあり、こんな祈りをしたことはなかったと思います。…ここにはイエス様のことを三度知らないと言ったペトロがいます。トマスのように復活を疑った人もいます。イエス兄さんが救い主だって、まさかそんなことがと思っていた家族もいます。「心を合わせて熱心に祈る」というのは、イエス様を裏切った人も疑った人も、がんこだった人も心を変えられて初めて出来たことなのです。

 この人たちの祈りに先立つことがありました。それはイエス様がして下さった、聖霊を送るという約束です。だからみんな、イエス様が約束なさった、父なる神様がイエス様の名によってお遣わしになる聖霊が降ることを、全身全霊を込めて、祈り、求めていたのです。みんな「聖霊なる神様、私たちのところに来て下さい」ということを、それぞれ自分の言葉で祈っていたのでしょう。…もっとも、ここで、イエス様が約束なさったことをどうしてお祈りしなければならないのかと思う人がいるかもしれません。聖霊が来るというのはイエス様がおっしゃったことです。約束なさったことです。ならば果報は寝て待て、寝ていても実現するのだから、わざわざお祈りする必要はないのでは?…そんなことはありません。イエス様の方ではすぐにも聖霊を送ることが出来たはずですが、人々の気持ちがどっちつかずの時に送るわけにはいきません。みんなが一つになって心を合わせ、「聖霊が来ても来なくてもかまわない」でも「果報は寝て待て」でもなく、「神様、お願いします。聖霊が来なくては私たちは生きられないのです」となるまで、訓練なさったのだと思います。

 天の神様のもとに、地上からたくさんの祈りが届けられます。神様の方では、そうした祈りを全部かなえてあげるわけにはいきません。いいかげんな思いで捧げられる祈りもあるのですから。心を合わせた祈り、熱心な祈り、神様の約束に基づいてその実現を求める祈り、要するに神様のみこころにかなった祈りこそ神様が喜ばれる祈りです。そのような祈りこそ神様が喜ばれ、かなえて下さる祈りなのです。

 こうして、120人ほどの人々が熱心に祈り、それが一週間ほど続いたあと、その祈りはついに天に通じて、ペンテコステの日の聖霊降臨となるのです。2章1節から読みます。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っている家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉を話し出した。」

 皆さんはこういうことは大昔の出来事で、今の時代にあるのだろうかと思うかもしれません。しかし、神様の力がいつ、どこで現れるかは人間の浅知恵で判断すべきことではありません。…ここで私たち日本キリスト教会の先輩たちが体験したことをお話ししましょう。明治維新からしばらく経った1872年のお正月、当時、キリスト教は国の命令で信じてはならない教えになっていたのですが、そんな中、横浜で宣教師バラ先生の指導の下、聖書の勉強会が開かれました。そこに集まってきた出席者は以外に多く、少ない時で20名、多い時で3,40名、バラ先生の熱心なお話に感じて、祈りにつぐ祈りがなされ、最初一週間で終わる予定だったのが、延長につぐ延長になり、それにつれて出席者の思いもますます深まり、その中に涙を流して日本にも聖霊降臨があるようにと祈る人も少なくなかったといいますが、その祈りが神様に応えられたというべきでしょう、ペンテコステの日と同じようなことが起こり、その内の9人がイエス様を信じる信仰を告白して洗礼を受けました。その日が1872年3月10日、日本キリスト教会の誕生日なのです。

 昔あったことが今起こらないということはありません。私たちの教会も祈りを大切にする教会、聖霊を重んじる教会です。どうか、私たちにも熱心に祈る思いが起こされ、祈りが私たちのふだんの生活の何より大切な部分となって行きますように。そうして、聖霊の導きが常にありますように。

 

(祈り)

 

 主イエス・キリストの父なる神様。み名があがめられますように。イエス様が昇天されたあとに開かれた祈祷会に出席した人たちは、決して完全無欠の人たちではありませんでした。そこにはイエス様を信じなかった人も、裏切った弟子もいたのに、心を合わせて熱心に祈る群れとなったのです。イエス様の約束を信じる人に与えられた恵みが聖霊降臨でありました。どうか同じ恵みが広島長束教会の上にもあって、コロナ禍の中で気落ちしがちな心と体を支え、未来への希望に向かって歩んで行くことが出来ますように。主のみ名によってこの祈りをお捧げします。アーメン。